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宮沢賢治 Kenji Review


2008.07.05

宮沢賢治 Kenji Review 489


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Kenji Review 489
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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第489号--2008.07.05------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「書簡(1931年)7」「海蝕台地」

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ブログ毎日?更新中
http://www.kenji.ne.jp/blog/
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--〔話題〕--------------------------------------------------
「書簡(1931年)7」
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 今回掲載の書簡は、1931年5月中旬、まもなく田植が始まるころ
で、肥料の販売としてはギリギリのところです。

 「紫雲英用石灰は六月卅日二番除草迄は有効故六月廿日迄に各農
家更に購売候様勧誘せられ度」としてあと少しの時期をがんばろう
としています。

 この「紫雲英用石灰」というのがよくわからないですね。レンゲ
畑はこのころかなり普及してきたようですが、田植の前にはレンゲ
はなくなっているわけですから、レンゲの肥料というわけではない
でしょう。レンゲの肥料効果を上げるために石灰を投入するという
意味ととっておきます。

 「小野寺氏の研究によれば、紫雲英を水田に多量に施し稲作に有
害作用を呈する場合の主なる原因は、その分解の際にメタン・炭酸
瓦斯等多量に発生し、水稲根に有害作用を及ぼすと同時に土壌中に
酸素の欠乏を来たさしめし水稲の栄養を妨ぐるに基づくものの如し。」

 ということがありますので、これを防ぐためではないかと思いま
す。

 11日から12日に仙台方面に行き、かなりの成果をあげています。
ところが16日から17日にかけてはまたまた熱を出して寝込んでいま
す。

 こんなことの繰り返しで、やはり徐々に弱ってきていたのでしょ
う。工場もフル稼働してがんばっていますが、販売と資金面の両方
で賢治に頼りきっていたことがうかがえます。

 こんな仕事の仕方では、健康な人でも長く持たないと思いますが、
まさに命懸けという言葉どおりの働きでした。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

消え行く斎藤報恩農業館
http://www.kenji.gr.jp/kaiho/hokoku19.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 大きい建物といえば、学校くらいしかなかった田舎町、宮城県小
牛田町の自宅近くに、高々と聳える総二階造りの建物が完成した。 

 斎藤報恩農業館の落成であった。大正15年秋のことである。

 名称も業務も、まことにユニークなこの研究機閑の設立は、宮城
県前谷地村(現河南町)の素封家斎藤善右衛門翁が、報恩公益の篤
志から、産業の発展を希って、財団法人「斎藤報恩会」を創設した
ことによる。

 斎藤翁の社会に対する報恩の志の篤さを戴し、時の上田方正丁宮
城県知事によって、「宮城県立斎藤報恩農業館」と命名された。

 同年11月15日から事務を開始したが、大正末期に、既に今日の日
本農業の機械化を予測し、農業機械の研究開発を目的とした専門機
関が設置されたことは、我が国の農業史上特記すべきことであった。

 田植磯、穀物調整、乾燥機、耕運機、エンジンなどの、諸々の基
礎研究や試作改良なども、昭和十年代に完成していたのである。

 この農業館の初代館長として、県が白羽の失を立てたのが、工藤
文太郎である。

 昭和2年7月12日付発令をもって赴任した工藤館長は、当時四十歳
そこそこの高等官で、容姿端正、長身のまことにスマートな紳士で
あった。岩手県長岡村(現紫波町)出身の逸材で、盛岡高等農林学
校を卒業後、岩手県稗貫郡蚕業講習所長、石川県農業試験場技師な
どを歴任しての小牛田入りであった。

 館長校舎が私の家に近く、当時父が町長を務めており、さらに館
長と同じ歳なことから親交があって、子供のころ、来宅した館長に
可愛がっていただいたことが、今も懐かしく思い出される。また、
農業館設立時の主任技師は、奇しくも後年私の恩師となり、岩手大
学工学部長を務めた玉城良男教授であった。

 賢治にとって、工藤館長は同郷で、盛岡高等農林学枚の先輩にあ
たり、また共に稗貫郡蚕業講習所に関係した経歴から、二人は後年
小牛田で相まみえる縁があったのであろう。

 やがて、東北砕石工場主鈴木東蔵との運命的出会いにより、同社
の技師となって、炭酸石灰の宣伝販売に奔走を始めた腎治は、当時
農業館長として令名の高い、工藤文太郎の紹介によって宮城県内の
需要を喚起すべく、初めて小牛田町の農業館を訪れたのは、昭和6
年4月19日である。

 そして、最後の訪問となった同年9月19日までの五ケ月の間に、
計五回にわたり、農業館や小牛田肥料株式会社を訪れた。

 この間、賢治の奔走と工藤館長の助言によって販売の業績が上が
り、このことを、小牛田駅より東蔵あてに投函し、報告している。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

広瀬正明氏の論考を読んで
http://yajuru.moe-nifty.com/blog/2007/10/post_6456.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 最初に、昨年の論考「紫雲英と石灰による有機農法」−ある化学
計算ノートにみる賢治の構想ーに少し触れたい。「三集」の「饗宴」
に、(紫雲英<ハナコ>)が出ているからだ。わたくしのレンゲソ
ウの肥料の知識は、吉村清尚著 最新 肥料学講義 弘道館発行で
ある。初版は大正十年七月十日で、訂正増補七版 昭和二年六月十
五日発行のものをみている。第七章 植物質肥料のところからが、
主なるものである。このなかの「紫雲英」と関連があると思われる
ところは、緑肥の効果等や、組成、それに成分表などが見られたり
する所(251頁)、また「小野寺氏の研究によれば、紫雲英を水田
に多量に施し稲作に有害作用を呈する場合の主なる原因は、その分
解の際にメタン・炭酸瓦斯等多量に発生し、水稲根に有害作用を及
ぼすと同時に土壌中に酸素の欠乏を来たさしめし水稲の栄養を妨ぐ
るに基づくものの如し。」(244頁)等である。 此処に出てくる
「小野寺」は2月28日に記した「肥料学汎論」の著者である。広瀬
氏も他の資料で注目して論じている。またこんな記事も視られる
「一反歩の紫雲英が開花迄に空気中より摂取同化する窒素の量は、
二貫二百六十匁にして、人糞尿の十八荷、若くは魚肥の二十八貫に
相当すべしといふ。」(255頁)。 その他この本には販売肥料の
価格表や肥料試験(第十六章)があり、附録には肥料分析表が出て
いる。この本は当時の教科書として使用されていたのかも知れない
と思える。明治時代の「肥料学」は、博文館「帝國百科全書」に視
られるように肥料各論第一章人糞と云うような感じであった。昭和
の初めになると、小野寺の「肥料学汎論」に見られるような新しい
感覚の内容と形式の書になる感じである。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

電報為替について
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010806095

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 このPDFファイルの2ページ目の「表2」の郵便為替のうち「電
信為替」とあるのが、お母様のいう「電報為替」のことです。証書
払い・居宅払い・窓口払いと3つの送金方法があります。

 失礼ながら、昔ながらの「電報為替」という言葉をご存じで、か
つ「電報為替で送金して」という言葉のニュアンスをふまえると、
この3つの送金方法のうち「居宅払い」、つまり、お金が速達便の
現金書留で自宅に届く方法を希望されているのだと察します。電信
為替の3つの送金方法の中では、受取人がいちばん手間取らない方
法です。

 送金するときは、郵便局の「郵便貯金・振替・為替」の窓口に行
き、「電信為替振出請求書」の用紙に金額や送り先を書いて、現金
(送金額+料金)をそえて、申し込んでください。

 窓口の締め切り時刻は大半の局で午後4時、都市部の一部の局で
午後5時または午後6時まで開いています。

 窓口で手続きをした時点で、送金先を受け持つ集配郵便局から速
達の現金書留で配達する手配がなされるので、基本的には当日中、
遅くて翌日には配達されることになります。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔書簡〕--------------------------------------------------

[340] 1931年5月10日 鈴木東蔵あて 封緘葉書

(表)岩手県東磐井郡 陸中松川駅前 鈴木藤三様
(裏)十日夕 コゴタ 宮沢(封印)〆
 
 今朝宮城県下肥料店巡りに出発せんとする間際御回送の小午田 
工藤技師よりの書簡を接手被見候処斎藤報恩会の方にて石灰引取見
込ありとのことに就き取るものも取りあえず正午当地着三度農業館
を訪ひ約三時間に亘りて館長と懇談を遂げ候処先づ今月十八日栗原
郡に知事及び斎藤氏等出向紫雲英開花状況視察あるべきを以てその
際大講演会を開き席上極力その使用を勧むべしとのことにて小生に
は明日及び明后日中歴訪の段取を与へられ候間明後日迄には可否大
体御報致すべく大抵は約二十車は得らるべくと存居候間製品御充分
ストック置願上候 取急ぎ先は

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 石灰が売れる見込みありということで、斉藤報恩農業館へ三度目
の訪問です。県や報恩会では当時「レンゲ畑」の普及にも力を入れ
ていたようです。

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[341] 1931年5月11日 鈴木東藏あて 葉書

(表)岩手県東磐井郡 陸中松川駅前 鈴木藤三様
   五月十一日午后 岩沼駅ニテ 宮沢賢治

今朝関口氏及長谷川氏に会見仙南一処仙北三処の肥料店に売込方承
認を得候次に微粒価格の点も略々承諾を得たるも尚明日確定的にお
答へ致す由に有之多分大丈夫と存候 後斉藤報恩会及宮城郡農会に
廻り候 宮城郡農会よりは大に今回の日限に間に合はせたる労を工
場に対して謝され候 新叺四銭にて引取らずやとのこと帰場后返事
致すべく申し参り候 次に先刻電報にて申上候長町宛十屯は若し御
発送后ならば至急岩沼へ廻送候様御電報願上候 当地鈴文商店は県
にて仙南取扱を指定され只今交渉致し候処六月末の十屯を皮切りと
して充分引取るべしとの事故○通に保管を頼み置くべく候。

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 小牛田からそのまま仙台に出て、肥料店をまわった報告です。文
中「○通」は○の中に通の時を書いています。いわゆる「マル通」、
日本通運のことです。岩沼は仙台の南の町です。ここに一車を回送
するように支持しています。

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[342](1931年5月11日)東北砕石工場(鈴木東藏)あて 葉書

(表)岩手県 大船渡線陸中松川駅前 東北砕石工場御中
   十一日夕 岩沼ニテ 宮沢拝

再啓 前便差上后駅前○通に交渉扱料十屯三円の件及若し長町より
十屯廻送の際は十屯三円にて六月末鈴文引取迄倉入依頼致し置候間
長町御発送后ならぱ何卒右様御手配奉願候        敬具

尚私は明日佐沼振出しにて肥料店めぐり致すべく候

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 前の葉書のつづきで、日通との交渉結果を知らせています。この
日は仙台に泊まって、翌日は北部の佐沼(登米市)の方に行くとい
っています。

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[343] 1931年5月12日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓

昨夜仙台の宿に関口氏御来訪有之、色々今後の方針に関し親切に御
指図有之宮城郡今年の注文期日切迫の件全く当方(関口氏)の落度
なりしなど申され候 就て明年度は今年夏より宣伝を完全に行ひ十
二月頃より発送着手せられ度とのことに有之候 尚その節昼県庁に
て定めたる仙南一仙北五の肥料店扱は監督上面白からず(炭酸石灰
を消石灰価格にて売ること)矢張仙南一仙北一と成し度その代り数
量は県より相当量引取様通達すべしとの事故右は承知致し置候 尚
価格二十五銭及二十六銭も宜敷明年は必らず今年の十数倍を獲さす
べく敢迄価格品質に改善を加へられたしとの儀に有之候

就て今朝右指定の小牛田肥料会杜へ参り六月末一車を皮切りとして
相当量年末迄引取様約成り申候間右御心組置奉願度 次に当地(築
館)の栗原郡農会に工藤技師(今朝再訪)の招介状を携へて来訪種
々説明仕候処郡農会技術員の詞にては効用価格申し分なきも今年は
各農家既に支度せりとの事にて甚悲観の状態に有之既て只今再び工
藤技師に書信して紫雲英用石灰は六月卅日二番除草迄は有効故六月
廿日迄に各農家更に購売候様勧誘せられ度旨申送り並びに当地運送
店等を訪ひて運賃値引交渉の上再度郡農会を訪ひ兎に角十八日の講
演会には工藤氏推奨の心算なればその支度丈はせられ度就て説明書
五百部丈送附候儘当日集合の人人に手渡し候様依頼致し置候。実に
当郡には紫雲英約千町歩有之余程の努カを致しても効あるべしと存
候。

  扨て工藤氏依頼左記御送附願上候

 一、炭酸石灰現在製造の微粉(表装吟味荷札附)弐俵
       宮城県栗原郡築館町栗原郡農会宛

 二、説明書五百枚 仝農会宛

 三、炭酸石灰現在製品 壱俵
     小牛田町斉藤報恩会農業館 工藤文太郎宛

    外に搗粉 約一貫匁

   並びに左記併せて御発送願上候

 一、説明書百枚 岩沼町鈴文商店 炭酸石灰 一貫匁

 二、説明書二百枚 小牛田町小牛田肥料株式会杜 炭酸石灰 一
貫匁

次に私今日工場へ立寄るべきの処一ノ関六時にて時間間に合ず候間
先は右紙面にて申上置二三日中用務敢纏め再び工場へ参上可仕候
                          敬具

   五月十二日                   宮沢

 鈴木場長殿

  尚栗原は五車乃至八十車
  小牛閏は夏迄には五車大丈夫と存候

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 仙台で泊まったとき、宮城県の関口技師が来訪したという報告で
す。県の方でも石灰の普及には力を入れようとしていたことがうか
がわれます。しかし賢治の方は今後の普及も大切だけれど、今の売
上も必要ということでがんばっています。工場もこれに応えてフル
稼働していたようです。

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[344] 1931年5月15日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

   五月十五日

拝復                      宮沢賢治

貴簡拝誦並びに宮城県下への荷為替証書四通正に受領仕 金弐百拾
円 同封盛銀小切手を以て御送金申上候。或は半日丈到着遅く御迷
惑とも存候へ共父の主張通致し置候次第御諒察奉願候

工場二十六日頃迄は注文到着致し居趣寔に御同慶の次第以后を夜業
によらずして尚相当注文参る様工夫致し居り
或は小バンフレット起草を要するやと存候儘多分明后日あたり諸事
支度相整へ参上御相談可仕候              敬具

  鈴木場長殿

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 宮城県への出荷が終り、その荷為替を賢治が引き取り送金してい
ます。売れて発送するにも運賃が必要ということで、自転車操業以
下の状態です。工場も夜業をやめて様子を見ながら操業するように
求めています。

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[345] 1931年5月16日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

   五月十六日朝

拝復

昨日は銀行為替にて御送金申上候儘色々御手違御迷惑と存候 実は
御手紙文面十五日中に送金手続せよとも見え且つ父しきりに電報為
替に及ぱざるべしと主張候為遂に更に照会の電報往復さへ要したる
次第御申訳無之候

次に十五日発のお葉書毎旦二十屯生産に就て更に注文を得べき趣拝
承仕候 就て過日仙台出張中より専ら稲作に対する石灰追肥に関す
る資料蒐集罷在多分今明日中に右に対するバンフレット製作の上盛
岡の小野寺博士(紫雲英栽培の権威)の御意見を徴し御賛同を得た
る上は県農務課を訪ひて諒解を得たる上再び各組合等に宣伝致すべ
く何卒暫時御待ち願上候 但し先日の栗原郡方面に対しては既に相
当の手続尽し参り候間来る十八日の講演会席上(千人集合)に於て
工藤技師の推奨如何により兎に角幾分の注文は有之べく、その節御
願致し置候説明書五百枚及微粉(只今製造の分)十五貫は必らず御
発送願置候若しこの手紙着迄に御発送未だに候はゞ先づバンフレッ
ト五百枚及見本一貫丈速達として御出し置奉願候

孰れは三四日中拝眉の上詳く申上候           敬具

  鈴木場長殿                   宮沢拝

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 前日の手紙に小切手で同封したお金を、工場の方では待ちかねて
電報で問い合わせてきたようです。電報為替という制度は便利そう
ですが、郵便局の民営化とともに廃止されています。送金なども毎
回父の指示に従っていたことがわかります。

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[346] 1931年5月18日 母木光あて 封書(中身ナシ)

(表)岩手郡御所村上南畑 母木光様
(裏)五月十八日 花巻町 宮沢賢治(封印)〆

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 封筒があって中身がないのですから、あて先の母木光のところに
封筒だけが残っていたのでしょうね。この日は熱が出て寝ていたよ
うですが、何を書いて送ったのでしょうか。

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[347] 1931年5月19日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

   五月十九日午后

拝啓

御電命に接し乍ら又々病臥参上致し兼昨日は軍次郎様御来花を辱し
寔に御申訳無之候 本日は熱も退き候儘諸方照会等も致し居り明日
は多分出盛して広告文の諒解を得べくその上は六月以后の注文を得
る様捲土重来致すべく候

 一、本日小牛田へ電報を発し候へども工藤技師未だ栗原より帰来
せざるらしく未だに返電なく重ねて手紙にて見込伺置候問右返事着
次第工場へ電報可申上候

 二、岩手商会は見本を取り乍ら今年は出来ざる由電話にて返事有
之宰郷信用組合の方なりし旨に御座候

 三、前沢福地氏へも数度電話致し候へ共今日もいづれ後程といふ
位の返事にて甚煮え切らず候。或は今夏よりは他店にも取次方交渉
を要するかと存候

 四、廿六日迄の分注文有之と存居候処廿一日にて発送済の趣その
節は当分夜業を癈するか致して栗原注文着迄御待ちを願ひ度存候へ
共御見込如何に御座候哉

 先はいづれも甚面白からぬ御報のみながらいづれ陰陽は交代し晴
雨は循環致すべく次便を御待ち奉願候          敬具

  鈴木場長殿                   宮沢拝

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 工場から来てほしいと言われながらも、16日、17日と熱が出
て寝ていたことを詫びています。賢治が寝込むとすぐに注文が来な
くなり、工場も苦しいところです。

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--〔作品〕--------------------------------------------------

四五
     海蝕台地
                      一九二四、四、六、

日がおしまひの八分圏〔オクタント〕にはいってから
そらはすっかり鈍くなり
台地はかすんで優鉢羅〔うばら〕華燈〔けたう〕油の海のやう
  ……かなしくもまたなつかしく
    遍路の春の胸を噛む
    求宝航者〔シンドバード〕の海のいろ……
そこには波がしらの模様に雪ものこれば
いくつものからまつばやしや谷は
あえかなそらのけむりにつゞく
  ……それはひとつの海蝕台地
    むかしの海の記念碑である……
たよりなくつけられたそのみちをよぢ
わたくしはこのかなしい夕景のなかに消えていきたい
ぼんやりつめたい四月のしろいそらになりたい 

【「四五 海蝕台地」 下書稿(一)】

(『明滅する春と修羅』より「春と修羅」第二集 1928年初夏構想)
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--〔後記〕--------------------------------------------------

 書簡を見ていると、当時は田植をいつごろしていたのだろうと疑
問に思いました。近年は5月の連休ころと思っていましたが、今年
5月10日に花巻に行ったら、まだ田植が終わっていない田がたくさ
んありました。少し遅くなってきたのでしょうか。

 レンゲ畑も少なくなりました。昔はレンゲ畑の時期だけは勝手に
田んぼに入ってもよかったので、5月の連休のころに母方の里に行
き、よく遊んだものです。

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--通巻--489号---------- e-mail why@kenji.ne.jp-- -----------
--発行--渡辺--宏------- URL    http://why.kenji.ne.jp/
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