2007.09.04
海外ミステリを読む(102)
「海外ミステリを読む」(102)
[ニューヨーク・ミステリの系譜27]
「警察小説あれこれ5」
翻訳ミステリの世界で、「警察小説」という言葉が使われる
ようになったのはいつ頃からなのだろうと思って、文献を漁
っていたらこんな文章が見つかりました。
『海外の推理小説の新傾向として、実話風のものが目立っ
て来て、わが国でも警察小説という名称が通用し始めた。
ハードボイルド派の停滞に刺激されたとも、またその打
開の一方法とも見られよう。警察小説の呼び方は便利な
のだが、ただ主動的な役割を果たすのが警察官であった
り、警察組織だったりするものを簡単に包括させて考え
かねない恐れがある。』
これは1959年に書かれた文章です。書いたのはミステリ
評論の先達、中島河太郎氏です。この文章から判断すると、
日本では「警察小説」という言葉は50年代から使われ出し
たと思われます。現在では氏の指摘通りになっていますが、
それで支障はないように私には思えます。
この文章は50年代のニューヨークを舞台とした警察小説を
書いたトマス・ウオリッシュの処女長編「マンハッタンの悪
夢」の「解説」として書かれたものです。この小説はグラン
ド・セントラル駅を舞台にしての子供の誘拐劇ですが、主人
公は鉄道警察官(現在では「交通警察官」と呼ぶのが定着し
ています)です。当時は鉄道警察官は鉄道会社に雇われてい
て、NYPDとは別の組織でした。本文にもこういう文章が
あります。
『鉄道警察官は鉄道会社の雇人で、市の警察の刑事ではな
いのだから、動かしがたい証拠をつきつけない限り、彼
には相手を尋問も勾留もする権限がないのだ。』
中島氏はウオリッシュの長編2作目の「深夜の張り込み」に
も解説を書いていて、それにも同じようなことを書いていま
す。
『近年の海外推理小説は謎解きを主眼にする本格派も、そ
れと対照的なハードボイルド派も、純粋な作風が影をひ
そめて、いろんな要素を注入して新展開の工夫を講じて
いる。マッギヴァーンやウオリッシュらのいわゆる警察
小説も、ハードボイルド派のマンネリズムの打開を試み
たものといえよう。』
要するに中島氏の説は「警察小説はハードボイルド派の流れ
を汲む」ということになるのでしょう。
この作品は銀行強盗を追いかけている三人の警官のうちの一
人が犯人を殺して、金を横取りするという悪徳警官の物語で
完全な警察小説と言えるでしょう。
60年代の文章としては、1968年3月号から半年間にわ
たって「ミステリマガジン」に小鷹信光氏が「警察小説とそ
の周辺」と題したエッセイがあります。その中にこういう文
章があります。
『単数または複数の警察官が主人公であること、あるいは
実際の警察活動が中心になっていること。この二つをと
りあえずここであつかう作品の条件(範囲)ということ
にしておく。』
つまり、小鷹氏は分けずにすべてを「警察小説」と呼んでい
るようです。
このエッセイからニューヨークを舞台とした初期の警察小説
をピックアップしてみます。小鷹氏はまず、草分けとしてジ
ョージ・バグビイのシュミット警視シリーズを紹介していま
す。このシリーズは翻訳は1冊しか出ていませんし、原書は
今では殆ど手に入りません。翻訳でさえ、3千円近い値段が
ついています。
翻訳のあるその一冊からシリーズ全体を推測するしかありま
せんが、それは1956年に出版された「警官殺し」です。
警察小説の定番と言える、警官を殺した犯人をシュミット警
視が捜し出すという物語です。このシリーズの特徴は語り手
の「私」がいることで、ヴァン・ダインの「ファイロ・ヴァ
ンス・シーリズ」に似ています。
『ニューヨークっ子の私は、静かだというとすぐ、何か潜
みかくれているような連想にとりつかれる』
ここでの「私」はシュミット警視ではなく、語り手の「私」
なのです。「私」は常にシュミット警視と同行し、殺人現場
にも出入り自由のようなので、一体何者なのだと気になる存
在の男です。
『われわれは検屍前にはロバート・ブラックの死体を見る
ために、死体置場へ赴いた。』
「われわれ」はシュミット警視と語り手の「私」です。これ
について作者は作中でこう説明しています。
『ここ何年か、シュミットの筆の影武者としてついて廻り
ーと言っても、私が代筆して「おれが書いて、あれがサ
インした」式のインチキや、「言われたようにどんどん
書く」式にやっているわけではないが、ここ数年にわた
り、何度この死体置き場に』
よく分からない文章で、これでは説明になっていません。な
ぜ、語り手の「私」がシュミット警視とどこにでも行けるの
かが分からないままです。現実には民間の人間が捜査の現場
に立ち会うことなどありえないからです。これに解説を書い
ているのは植草甚一氏で、こう説明しています。
『このシリーズをとおしての特色は、作者バグビイがシュ
ミット警視のゴースト・ライターとなって登場すること
で、これが「警官殺し」では副作用的な面白い効果をだ
すことになった。』
ここで小鷹氏に登場して貰います。氏は「警察小説とその周
辺」の中で、1949年に出たシュミット警視シリーズの中
の一冊、「Drop Dead」の冒頭を紹介しています。
『何と書き出していいのか思い悩んだあげく、結局読者は
バグビイはシャイクスピアとはくらべものにならない作
家だと、一節を読んだだけで気が付くだろうということ
に自分で気付いた。しかし、なんといっても書き出しの
一節は肝要である。』
書き出しの一節が大事なのはあんたに言われなくても分かっ
ていると言いたくなる文章で、この作家は二流の作家だと分
かる以外に意味のない書き出しですが、大人の小鷹氏は、そ
の事には触れずにそのあと、当たり障りのない表現で逃げて
います。
『この一節でお分かりのように、シュミット警視シリーズ
には、コラムニストのジョージ・バグビイがシュミット
警視についてまわって一人称で語ってゆく風変わりな趣
向がこらされているのである。』
このように「風変わりな趣向」という表現で逃げています。
エド・マクベインと同時代の作家にジョナサン・クレイグが
います。彼は現実のニューヨークを舞台にした警察小説を書
いた作家ですが、小鷹氏はこう評しています。
『87分署シリーズを集団ドラマの魅力とすれば、クレイ
グのニューヨーク市警分署シリーズの魅力は徹底した捜
査活動のデイテール描写にあるのだろう。ときには警察
記録そのものを読まされるような淡々と語り口だが、現
実の捜査活動に最も密着した作品ということであれば、
クレイグのシリーズはその筆頭にあげられる。』
ジョナサン・クレイグの作品は50年代は「マンハント」で
60年代には「ミステリマガジン」で紹介されていますが、
すべて短編です。登場する刑事達もその都度代わり、分署も
「深夜勤務」では9分署、「過去から来た男」、「身許不明
の女」、「ある女の死」の三作は18分署、「水死人」では
20分署と色々です。小鷹氏はこのエッセイの中でこう書い
ています。
『この中でいちばん評判のよかったピート・セルビイとス
タン・レイダー刑事のコンビを主人公にしてひきのばし
た長編第1作「ある女の死」が55年末にゴールド・メ
ダルから出版された。警察小説は一斉に脚光をあび、ま
さに花開こうとしていた。』
(「ミステリマガジン」1968年4月号)
ここに出ている「ある女の死」がミステリマガジン1966
年3月号に載っているので、読んでみたのですが12ページ
しかなく、とても長編とは言えない分量でした。ハメットの
中編と呼ばれる作品でももっと長い筈です。編集部が勝手に
カットして「抜粋」と書かなかったか、同名の長編ものがあ
るかのどちらかでしょう。結論は知りません。
クレイグは刑事達が実際の「失踪人届」を書く場面や、危険
人物への「警戒簿」や「定住犯罪者カード」を調べる場面を
挿入して、まだコンピュータのない時代の手作業の捜査を描
くことで現実味を出そうとしたようです。作家になる前はナ
イトクラブのピアニストで、編曲も出来たらしいクレイグは
そういう一つ一つのデイテールを積み重ねる作業が好きなの
かも知れません。
「深夜勤務」という作品は1966年3月号の「ミステリマ
ガジン」に載っているのですが、そのページの中に「警察小
説」と題した小さなコラムがあります。その中にこんな文章
があります。
『ジョナサン・クレイグといえば、マンハント系の作家と
いってもよく、この分署シリーズも同誌をかざった。』
『87分署シリーズがはじまったのはマンハント誌上だっ
たし、87分署シリーズが掲載されていたころの同誌は
もっとも充実していたように思われる。』
『クレイグの87分署シリーズは小味な短編として、警察
小説ファンには、マクベインのセンチメンタルリズムや
ハッタリとはちがった面白さがあるだろう。』
「クレイグの87分署シリーズ」というのは「クレイグの分
署シリーズ」の間違いでしょうが、初期の警察小説の両雄が
「マンハント」という雑誌で競い合っていたことがよく分か
る文章です。
(注)小鷹氏は「ニューヨーク市にあと一つ分署が出来たら
という架空の87分署がマクベインのシリーズ」と書
いていますが、87分署がある架空の町アイソラは私
にはニューヨークとは別の町に思えるので、このシリ
ーズでは取り上げません。
[深読みコーナー]
海外の文献も調べてみたら、二つ見つかったので紹介してお
きます。
まず、最初はヘイクラフトの「娯楽としての殺人」にこのよ
うな文章があります。
『今はやっているいろいろなタイプの警察小説中、二、三
のものは、すくなくとも現在の姿では、長居をしすぎて
いるようだ。』
この本は1941年に出版されていますので、40年代初め
にアメリカでは警察小説が流行していたと解釈出来るでしょ
う。この文章は第16章「探偵小説の未来」にあり、ヘイク
ラフトが探偵小説は今後どうなって行くかを予測した章です。
他にはこんな文章があります。
『大部分の探偵作品は、いつでもそうだったように「本道」
型つまり推理的な警察小説の分野でつづけられるだろう。
(中略)だが、一時的かも知れないが、より実験的な「
わき道」型の存在は、必然的にその優位の月桂冠を保つ
ためにも慣習的な警察小説を強化させるだろう。』
大学生の英文和訳のような、ひどい訳のせいか、それとも原
文が悪文なのか即断は出来ませんが、よく分からない文章で
す。要するに、今後も警察小説は息長く続くだろうと言って
いるようですね。その条件として、このような注文をつけて
います。
『生きのびてゆくためには、未来の警察小説は、「普通」
小説の作家によって使われたすべての技術を、必要とす
るだろうー緊密な首尾一貫した筋、いきいきとした文体
や会話や人物描写、文学性、ユーモア等ーますます知的
に批判的になってゆく観客を満足させるためにである。』
これは的を射た指摘だと思います。
次ぎにイギリス人ジュリアン・シモンズが1972年に書い
た「ブラッディ・マーダー」の第14章「犯罪長編小説と警
察小説」からの文章です。
『新しく出現した形態の作品として、現在では「警察小説」
と特定の名称で呼ばれている分野がある。叙述はもっぱ
ら警察署内の捜査手続き面に限定され、微に入り細をう
がった描写に終始し、その秀作にあっては申し分のない
リアリズムが発揮されている。ただしこれは、最近に開
発された新分野の作品のことであって、かって凡庸な作
家たちが書き上げたいわゆる警察物と混同すべきではな
い。』
イギリスもアメリカも犯罪実話物は大衆小説の大きなジャン
ルですし、フランスでは推理小説のことを「ROMAN POLICIER」
文字通りの「警察小説」という位です。シモンズは新しい「
警察小説」とそういう昔の「警察物」は別のものと考えるべ
きだと言っているようです。
(文献)
●「マンハッタンの悪魔」(1950)トマス・ウオルシュ著
村上啓夫訳・創元社・1959
●「深夜の張り込み」(1950)トマス・ウオルシュ著
杉浦安訳・創元推理文庫・1961
●「ある女の死」(1955)ジョナサン・クレイグ著
谷川四郎訳・「ミステリマガジン」1966年3月号
●「警官殺し」(1956)ジョージ・バグビイ著
斉藤数衛訳・創元社・1958
●雑誌「マンハント」に関する詳しい情報は以下のサイトにあ
ります。
http://homepage1.nifty.com/ta/sf3/man.htm
●雑誌「ミステリマガジン」に関する詳しい情報は以下のサイ
トにあります。
http://homepage2.nifty.com/te2/m/hmm1956.htm#m01001
●「娯楽としての殺人ー探偵小説・成長と時代」(1941)
ハワード・ヘイクラフト著・林峻一郎訳
国書刊行会・1992
●「ブラッディ・マーダーー探偵小説から犯罪小説への歴史」
(1972)ジュリアン・シモンズ著
宇野利泰訳・新潮社・2003
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私のHPは「中原行夫の部屋」です。
http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/
(連載状況)
「昭和32年の映画館」は山梨県都留市、大月市を追加。
「新宿・武蔵野館の上映記録」は大正12年8月分を追加。
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