2008.04.12
海外ミステリを読む(108)
「海外ミステリを読む」(108)
[ニューヨーク・ミステリの系譜33]
「野球ミステリ(1)
野球ミステリとは何かという定義は色々あると思いますが、
私は野球界を舞台にした作品と野球界にいた人間、それは選
手だったり、審判だったり、フロントの人間だったりするわ
けですが、そういう人間が主人公のミステリの二つがあると
思います。ですが、そういう作品は野球好きの人間しか読ま
ないせいか数が少ないです。まして、ニューヨークを舞台に
したとなると、もっと少ないです。
最初は野球界を舞台にした作品を取り上げてみます。パーカ
ーのスペンサー・シリーズの中に「失投」という野球ミステ
リがありますが、これはレッド・ソックスの投手に八百長疑
惑があるので調べて欲しいと球団側に依頼されてスペンサー
が調査を始めるという物語です。舞台はボストンですので、
取り上げませんが、パーカーにはもう一冊の野球ミステリが
あります。それが「ダブルプレー」という作品です。主役は
スペンサーではなく、ジョゼフ・バークというボクサーだっ
た用心棒稼業の男です。
バークは戦争が終わった後、他にすることがなかったので、
軍隊で知り合った男の勧めでボクサーになるのですが、プロ
としては通用しないことが分かり、次に賭博の金の集金の仕
事、有力者の娘のボデイガードをします。そのあと、ブルッ
クリン・ドジャースのゼネラル・マネージャーのブランチ・
リッキーの依頼で選手のボデイガードを始めるわけです。そ
の選手というのが、初の黒人大リーガー、ジャッキー・ロビ
ンソンだったのです。
『ジャッキー・ロビンソンという選手は、アメリカの人種
差別の一番激しい時代に、ドジャースがはじめて黒人選
手を入団させた、その第1号選手である。彼は人種差別
のカベを破った黒人選手初の大リーガーだったのだ。そ
れだけに、われわれの想像もできないほど精神的負担は
多かったに違いない。』
これはかっての名選手、名監督の水原茂氏の文章です。今の
ジャイアンツに背番号3と4をつけた選手はいないのは両方
共に永久欠番だからです。3は言うまでもなく長島さんで、
4は水原さんの番号です。水原さんは1956年にドジャー
スの一員として来日したジャッキー・ロビンソンと会って試
合をしています。この文章はジャッキー・ロビンソンの自伝
の日本語版に「推薦のことば」として巻頭に載っています。
この作品のみどころはブランチ・リッキーとジャッキー・ロ
ビンソンという大リーグの歴史上に燦然と輝く実在の人物を
パーカーが自分の作品にどのような形で登場させ、動かして
いるかという点にあります。彼は巻頭に「著者覚え書き」と
題して、こういう文章を載せています。
『これは実在の男に関するフィクションである。私が書い
たことの大部分は創作だ。しかし、私はジャッキー・ロ
ビンソンを正確に描くよう努めた。私が15才になり、
彼が世界を変えていた1947年の彼の姿、あるいは、
彼がこうであったであろうと私が想像した姿だ。それ以
外はあくまでフィクションだ。これはジャッキーという
よりバークの話であるかも知れない。しかし、ジャッキ
ーがいなかったらバークの話はなかった。それに、私と
て話を書くことはなかった。』
しかし、そうなると、この二人の人物の実像を知らないとよ
く分からないということになります。所が、読んで行くと作
者は読者が二人のことをよく知っているという前提で書いて
いる気配があります。例えば、最初の出会いの場面で、リッ
キーはバークに向かっていきなり、「わしはジャッキー・ロ
ビンソンをモントリオールから上げようと思っている」と言
うのです。会話の中だけで物語を進めるパーカーのいつもの
やり方ではありますが、これでは事情を知っている人間にし
か分からないことになります。この場面の数ページ前には簡
単にこう説明を入れています。
『その年(1946年)の10月、ブルックリン・ドジャ
ースのジェネラル・マネージャーブランチ・リッキーが
カリフォルニア大学ロス・アンジェルス校で四種目のス
ポーツで優秀な成績をおさめていた黒人選手、ジャック
・ルーズベルト・ロビンソンと、ドジャースの3Aファ
ーム・チーム、モントリオール・ロイヤルズとのマイナ
ー・リーグ契約に署名した旨を公表した。』
これではロビンソンが大卒ですぐ契約したと誤解されます。
伝記ではないのですから細かいことを言うなと言われればそ
れまでですが、実はパーカーが省略した部分を知っているか
どうかでこの作品の理解が違ってくるのです。作者は当時の
黒人が社会的にどういう扱いを受けていたかは読者が知って
いるという前提で話を進めているからです。黒人はバスでも
後部の黒人専用席に座らなければ行けないし、球場でも黒人
席は屋根のない外野席に指定されていた時代です。
実際はジャッキー・ロビンソンは大学を2年で中退したあと
徴兵されています。除隊のあと、生活のために黒人リーグに
入ったと自伝に書いています。
『野球をやりたい黒人は、黒人チームとしか契約出来なか
った。チームは財政的に弱く貧困で、球団の運営や組織
も弱体だった。遠征スケジュールは信じられないほどき
つかった。』
『この強行軍も、十分な食事がとれるなら、それほど苦に
ならなかったろう。食事するための満足な場所はおろか
、ごく普通の場所を見つけるのすら、毎日の悩みのタネ
だった。』
『私たちが試合する所にはたいていホテルのようなものは
なかったし、たまに黒人用のホテルがあっても食事がな
い、という具合だった。』
今は忘れられてしまっている黒人リーグについては日本語に
よる文献は少ないのですが、その一つが「野球は言葉のスポ
ーツ」という本です。
『1898年から1946年までは「オーガナイズド・ベ
ースベール」(米国プロ野球組織)から締め出され、黒
人選手たちは自分たちだけのニグロ・リーグを結成して
プレーするしかなかった。そして、大リーグの扉が黒人
選手にも開かれた後は、すぐれた選手の大リーグ入りの
ため人気が落ち、1960年代に入ると自然に消滅して
いった。』(「野球は言葉のスポーツ」より)
「大リーグの扉が黒人選手にも開かれ」、その最初の入場者
がジャッキー・ロビンソンだったのです。ジャッキーのあと
続々と黒人選手が大リーグに採用されて行きました。
黒人リーグにいて、大リーグに行けなかった黒人選手の中に
は日本のプロ野球に入ってプレーをしていた選手もいました。
「黒人野球のヒーローたち」によると、1950年代の初期
に、ラリー・レインズ、ジョン・ブリトン、ルーファス・ゲ
インズ、ジミー・ニューベリーの四人が阪急ブレーブス(今
のオリックスの前身)でプレーしていたと書いています。中
でもラリー・レインズは1954年のパリーグの首位打者に
なるほどの活躍をしています。
『ニグロ・リーグには、ナショナル・リーグが七球団、ア
メリカン・リーグが六球団あった。彼らは町から町へ自
家用バスで渡り歩き、日曜日には三試合やったり、ワシ
ントンでダブルヘッダーをした翌日、ボルチモアでナイ
ターをやるといった強行軍に明け暮れした。大リーグの
シーズンオフには大リーグの球場を借りて試合をした。
そのほかは町の公園などにある球場を使ったりした。』
(「野球は言葉のスポーツ」より)
ジャッキー・ロビンソンが所属していたのはカンサスシテイ
・モナークスというチームです。彼はこの時代を自伝の中で
こう振り返っています。
『いま黒人野球をやっていた時代を振り返ってみると、ほ
かに行くところがないため、「黒ん坊リーグ」に仕方な
くへばりついている選手が多かったことに、ただただ驚
くばかりだ。』
そんなジャッキーを白人リーグつまり、大リーグへと引っ張
り上げたのがブランチ・リッキーなのです。もっともすぐに
ではなく、最初はファームのモントリオール・ロイヤルズに
入れられたのです。大リーグの選手枠は40人、その内でも
ベンチに入れるのは25人だけで、あとの15人はマイナー
の3Aで試合したり、練習したりして、上で故障者や不調者
が出るのを待っている訳ですが、今ではすべてのチームが採
用しているこのシステムを最初に採用したのがブランチ・リ
ッキーだそうです。
『リッキーは古くからいくつかの球団の経営にたずさわり、
現在の大リーグを頂点としてその下にトリプルA、ダブ
ルA、シングルA、ルーキー・リーグと実力によってク
ラス別にして、ピラミッド型に大リーグまで登ってくる
ファーム組織を創り上げた優れた野球人として知られて
いる。』
(「野球は言葉のスポーツ」より)
パーカーはこのような部分には一切触れずに、リッキーとバ
ークの出会いの場面を会話だけですすめています。
『「ジャッキーは性格の強い男だ」リッキーが言った。
「激しいとさえ言えるかもしれない。この実験が成功す
るためには、彼はその性格を押さえ込まなくてはならな
い。彼はつねに平静でなければならない。侮辱を甘んじ
て受ける」』
初めてこの文章を読んだ時、私はここで使われている「実験
」の意味がよく分かりませんでした。原文で確かめたら、確
かに「EXPERIMENT」という単語を使っています。野球用語に
はこんな言葉はありません。ロビンソンの自伝を読んで初め
てよく分かりました。パーカーがリッキーとロビンソンの出
会いの場面を描いていないから分かりにくくなっているので
す。
自伝の中でロビンソンは初めてリッキーと会った時に、彼が
こう言ったと書いています。
『君は一つの球団が雇おうとしている、ただありきたりの
選手ではないのだ。言うなれば、わしたちは君という人
間とともに大きな賭けをしているのだ。』
『君は本当にそんな事態が起きようとも、プレーする勇気
があるのかね?』
ロビンソンはこの後、こう述懐しています。
『リッキー氏としては、私がどんな事態にぶつかってゆく
かを本当にわかっているのかが、確かめたかったのだ。
ビーンボールが投げられるだろうし、どんな人間でも、
その心を傷つけ、激怒するような名前で呼ばれることも
あろう。肉体的にも痛めつけられるかもしれない。それ
を甘受して、気持を押さえ、われわれが立てた究極の目
標に向かって不変な態度でまっしぐらに進めるのかー彼
が知りたかったのは、こうした点だった。』
ロビンソンはこうしたリッキーの意図を感じた上で、こう反
論します。
『リッキーさん、あなたは仕返しするのが怖いような、黒
人を探しているんですか?』
その問いに対するリッキーの答えはこうだったと自伝にあり
ます。
『ロビンソン君、わしは仕返ししないでおれるだけの勇気
を持っている選手を探しているんだよ』
この部分が自伝のハイライトで、多くのスポーツ・ライター
が引用する場面です。例えば、ジョセフ・ダーソーの「アメ
リカンドリーム・大リーグとその時代」では、そっくりその
まま使っていますし、ロジャー・カーンは「夏の若者たち・
青春篇」で、こう引用しています。
『打席では、毎日のように危険な球を投げられた。言葉で
愚弄されることも日常茶飯事。「黒人(ニガー)」の蔑
称から始まって、聞くに堪えない卑猥な言葉を浴びせら
れた。こういう場面に直面しても、耐えて黙っているこ
とをジャッキーは前もって宣誓していた。リッキー社長
はジャッキーに、彼の持っている爆発性をあくまでも閉
じ込めておくようにと、約束させていたのだった。』
ですが、パーカーはこの部分を「実験」という表現で簡略化
し、すぐジャッキーとバークが出会う場面にしています。リ
ッキーが「きみは細かいところまで見られている。酒は飲め
ない。性的に無分別なことは出来ない。物事について意見を
持つことはできない。懸命に、正々堂々とプレーし、口をつ
ぐんでいる。やれるか?」とジャッキーに言った後の場面を
こうまとめています。
『「多少の運に恵まれれば」ロビンソンは言った。
「幸運は意図の残留物だ」リッキーが言った。
生涯打率2割3分9厘の男にしてはなかなかいいことを
言う、とバークは思った。』
キャッチャーだったブランチ・リッキーの生涯打率は間違い
なく2割3分9厘ですが、それを皮肉っているわけです。し
かし、名選手が名監督や名オーナーになるとは限らないのは
日本でも同じです。リッキーは大リーガーとしては大した成
績を残していませんが、ファーム制度を創り出したり、黒人
を大リーグに最初に採用したりと、ビジネスとしての大リー
グの発展に貢献したことは間違いないでしょう。彼は人道上
の理由で黒人大リーガーを誕生させた訳ではなく、客として
の黒人層を考えたからです。日本人の選手を大リーグに呼ぶ
のと同じ理由からです。日本人選手にはテレビの放映権と在
米日本人と日本からの観光客がついて来るからです。
こうしてバークはジャッキーの警護を始めるのです。二人は
どこに行くのにも一緒ですが、白人のバークと黒人のジャッ
キーという二人連れでは色々のトラブルが発生します。白人
のタクシー運転手は黒人を乗せないし、黒人の運転手は白人
を乗せない。ホテルは白人用と黒人用と別れていた時代です
ので、一緒に泊まれるホテルを探すのが大変なわけです。食
堂でも、バーでも同じです。そんな二人の1年間を描いたと
いうのがこの作品です。
ブルックリン・ドジャースのホーム球場はエベッツ・フィー
ルド。今はないこの球場もパーカーは忠実に再現し、ここで
ジャッキーを射殺しようとした男をバークが撃ち殺すエピソ
ードも入れています。勿論、これはフィクションですが、も
っと事実の部分を挿入して、歴史的背景を説明した方が面白
くなったのではないかという気がします。それにタイトルの
「ダブルプレー」の意味もよく分かりません。野球用語でダ
ブルプレーというのは、二人がアウトになることです。です
が、ジャッキーとバークは無事にトラブルをくぐり抜け、セ
ーフだったのです。敵をダブルプレーでやっつけたという意
味なのでしょうか。
[深読みコーナー]
ドジャースは1958年にブルックリンからロサンゼルスに
移ったわけですが、ブルックリンの人間にとってロサンゼル
ス・ドジャースはもはやドジャースではないわけです。かっ
て大阪の難波に南海ホークスという球団があったのですが、
親会社の南海電鉄が経営不振になり、球団をダイエーに売り
ダイエー・ホークスになったことがありました。大阪のファ
ンはダイエー・ホークスのファンにはなりませんでした。九
州に行ったホークスは、もはや南海ホークスではないからで
す。それと同じことです。ポール・オースターはウエイン・
ワンと一緒に作った映画「ブルー・イン・ザ・フェイス」の
中で登場人物にこう言わせています。
『子供のころに受けた心の傷っていえば・・・何てったっ
てドジャースがブルックリンを出ていったことだな。俺
たちそのせいで世の中シラケちゃってさ、そのままずっ
とシラケっぱなしってやつも多いもんな。もちろん、メ
ッツ・ファンなんかじゃない。ヤンキース・ファンにだ
ってなれやしない。というわけで、人生から野球が消え
たんだ。ブルックリンに生まれたおかげで』
野球のファン気質はこんなもので、日本もアメリカも変わり
ません。この映画はブルックリンが舞台で、ドジャースがい
なくなったあとの時代を描いています。ニュース・フィルム
でジャッキー・ロビンソンも出て来るし、エベッツ球場の取
り壊しの様子も出て来ます。
『ブルックリンでは、とくにあのころのブルックリンでは
街中が野球狂だったので、だれも野球を知っていたのだ。
とくにあのころのブルックリンはすばらしいチームをも
っていた。チーム・スポーツ上、最も偉大で最も美しい
チームをもっていた。しかも野球がだれもかもを幸せに
しているように見えたし、あの頃は世の中もこんなに複
雑でなかったように思えたというわけだ。』
これは「ドジャース、ブルックリンに還る」という小説の中
の文です。ミステリではありませんが、野球小説というジャ
ンルに入る作品です。少年時代にジャッキー・ロビンソンが
活躍するのをエベッツ球場で見ていた二人の少年が主役です。
ドジャースの熱狂的なファンだった二人は成長し金持ちにな
り、ドジャースを買い戻し、一人はオーナーに、一人は監督
になり、エベッツ球場を再建してドジャースをブルックリン
に連れ戻すという夢物語です。
作者のデイヴィッド・リッツは熱い思いを込めて、ドジャー
スとブルックリンを描いていて、パーカーの「ダブルプレー」
よりこっちの方がはるかに面白いです。リッツは作中人物に
こう言わせています。
『私はブルックリンに住みながら野球チームをもたない人
々のことを思ったが、それというのも、それをもつにふ
さわしいーそれを必要とするー場所があるとしたら、そ
れは、そこで野球が発明され、世界じゅうのどこよりも
野球のことをよく知っているブルックリンだったからだ。』
ですが、これは興奮しすぎて、思わず口が滑っています。野
球はブルックリンで発明されたというのは、オーバーな表現
です。ジョセフ・ダーソーの「アメリカンドリーム」にこう
いう文章があります。
『現在行われている野球の起源となると、やはり1857
年に全米プロ野球選手協会の旗揚げまでまたなければな
らず、そこからはじめて公認ルールの下で試合が行われ
るようになったのである。』
この当時、強くて中心になっていたのが、ブルックリンのエ
クセルシオ・クラブで、彼等が全米に野球を拡げていったと
いうのが事実だったようです。ですから、今日の野球の発展
の最初の一歩を築いたチームの中心がブルックリンのチーム
だったというべきでしょう。
この作品を訳した小菅正夫氏は「あとがき」にこう書いてい
ます。
『類別すればまぎれもなく野球小説だが、同時にこれはま
た、見果てぬ夢を実現した二人の男たちの痛快なサクセ
ス・ストーリーであり、羨望おくあたわざる男の友情の
物語であり、女性読者をも魅了してやまない美しく慎や
かなラヴ・ストーリーでもある。そこにはかぎりない優
しさと、不屈の負けじ魂と、古きよき時代への郷愁が満
ち満ちている。』
まさに映画向きな物語ですが、予算の計算が怖いのか映画化
しようという制作者は現れていないようです。何しろエベッ
ツ球場を復元しなければいけないからです。小説では跡地に
ある団地の住民を余所に移して、取り壊してから球場を再建
しています。現在のCG技術の駆使すれば本当に工事をしな
くても再現出来るのではないでしょうか。ブルックリンを舞
台にした映画では、古くはエリア・カザンの「ブルックリン
横丁」があり、「ソフィーの選択」、「ブルックリン最終出
口」と続き、最近ではオースターの「スモーク」と「ブルー
・イン・ザ・フェイス」がありますが、この作品も映画で見
てみたい作品です。
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私のHPは「中原行夫の部屋」です。
http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/
(連載状況)
「昭和32年の映画館」は静岡県藤枝市、御殿場市まで。
「新宿・武蔵野館の上映記録」は大正14年2月分まで。
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