2008.06.11
海外ミステリを読む(110)
「海外ミステリを読む」(110)
[ニューヨーク・ミステリの系譜35]
「野球ミステリ(3)」
300勝投手は日本には6人、大リーグには22人いますが
その中でミステリを書いた男が一人だけいます。311勝の
トム・シーバーです。「ビーンボール」というタイトルの野
球界の内幕を描いた作品です。舞台はワールド・シリーズ。
その直前に一方のチームのオーナーが殺されるという事件が
発生し、新聞社の運動部記者が真相を探るという作品ですが
面白いのは300勝投手の経験から得た野球の世界の内幕で
す。
球場内の監督室の外でオーナーが死体となって発見され、そ
ばに野球のボールが落ちています。死体のこめかみにはボー
ルの形に窪みが出来ていたので、犯人は遠くからボールを投
げて殺したと思われます。タイトルはそこから来ています。
プロの世界にいる人間なら、投手でなくてもボールを狙った
場所に投げることが出来る筈ですから、選手達だけでなく、
元選手である監督、コーチも容疑者になります。グランドで
練習していた選手がグランドを離れて監督室に近づいて離れ
た位置からボールを投げて殺したと考えることも出来ます。
オーナーを嫌っていた選手やスタッフが多いので容疑者はた
くさんいます。この犯人捜しがワールド・シリーズの進行と
平行して進むストーリー展開は野球ファンには楽しめる作品
といえます。
300勝投手トム・シーバーの実経験から滲み出る言葉が、
「なるほど。そういうことなのか」と読む者を納得させます。
『野球の場合、よけいな筋肉は役に立たない。筋肉がつき
すぎると、打ったり投げたりがうまくできなくなるんだ。』
日本でも筋肉をつけすぎて、かえって駄目になった馬鹿な選
手がいたのはご存じの方は多いでしょう。
『サム・プレイジャー(殺されたオーナー)は大金をはた
いて最高の選手を買い漁り、最終的にその元を取ろうと
しているんだ。最近は選手を育てるなんてどうでもよく
なってるし、野球が好きかどうかもどうでもよくなって
る。そういう金を持った連中が、野球をだめにしたんだ。』
敗戦以来、アメリカを見習い、アメリカに追いつけを国是の
ようにしてやって来た日本ですが、今ではプロ野球の世界で
もアメリカ並みになり、この言葉が日本でも当てはまるのは
御存知の通りです。
この本の巻末の「解説」で戸田裕之氏はこう書いています。
『登場人物のモデル探しも面白いかもしれない。たとえば
件のオーナーであるが、これはどう見てもヤンキースの
超ワンマン・オーナー、スタインブレナーがモデルとし
か思われないし(そういえば、日本のプロ野球チームに
も、スタインブレナーに負けず劣らずのオーナー氏がい
らっしゃるようだが)、一方のチームの監督は明らかに、
あのドジャー・ブルーの血が流れていると名言を吐いた
元ロサンジェルス・ドジャーズの監督、トミー・ラソー
ダそのものである。』
容疑者の一人である監督のことは「あいつは昔キャッチャー
で、しかも恐るべき強肩だったんだってな。それなら、人を
殺せるだけの球を投げるぐらい朝飯前だろう」と書いていま
すが、これはどうでしょうか。まあ、距離によると思います。
本当にコントロールが良ければ投手になっていたはずです。
誰でも第一志望は投手なのです。投手にはなれないからほか
のポジションを選ぶのです。投手と捕手ではコントロールの
範囲が違います。
オーナーにマイナーに落とされてしまった為に大リーグに戻
るには4年かかった選手も恨みを持っていたということで容
疑者になっています。このような様々な理由と共に、誰がど
の場所からどういう球を投げて殺したのがこの作品のポイン
トになります。
トム・シーバーの球歴を追ってみたところ、1985年にヤ
ンキースで300勝を達成したあと、1986年にレッドソ
ックスにトレードされていました。これを調べている途中に
最近見た映画のことを思い出しました。その映画は「ライフ
・イズ・ベースボール」です。原題は「GAME 6」つま
り、6回戦という意味です。この映画は1986年10月2
5日のワールド・シリーズ第6戦の日の一日を描いた作品で
す。この年の両リーグのチャンピオンはボストン・レッドソ
ックスとニューヨーク・メッツで、この日まで3勝2敗でレ
ッドソックスが勝っていて、第6戦に勝てば優勝する筈でし
た。
主人公はレッドソックスファンの劇作家。舞台がNYですか
ら、東京にいる阪神ファンのようなもので肩身の狭い思いを
しながらレッドソックスを応援し続けている男です。何しろ
68年間ワールド・シリーズで勝っていないチームです。そ
れでもファンであることを止めない男の一日を試合の進行と
合わせて描いた映画です。試合は一塁手の歴史に残るトンネ
ルで負けてしまい、このあと、シリーズは結局メッツの逆転
優勝で終わっています。実はこの時、トム・シーバーはレッ
ドソックスに在籍していたのです。でも、故障でこのシリー
ズには投げていませんでした。彼はこのシリーズのあと、レ
ッドソックスを解雇され、翌年にはメッツと契約したのです
が、シーズンの途中に引退しています。その後、テレビの解
説者をしたり、この作品を書いたわけです。
レッドソックスと言えば勿論、ボストンが本拠地ですが、ボ
ストンを舞台にしたミステリ・シリーズにはパーカーの私立
探偵スペンサー・シリーズと、弁護士ブレデイ・コイン・シ
リーズがあります。ブレデイ・コイン・シリーズの第3作目
に「狙われた大リーガー」という野球の世界を描いた作品が
ありますが、レッドソックスの投手の息子が誘拐され、かっ
てその投手のエージェントをしていたことのあるブレデイ・
コインが事件に巻き込まれて行くという物語ですが、スカウ
ト、ドラフト、新人育成のシステムなどの内幕が面白く読め
る作品です。ウィリアム・タプリーは作家になる前は一流の
スポーツ雑誌のライターで、プロ球界に裏側に詳しいのです。
野球賭博についてこの作品の中でこういう文章を書いていま
す。
『勝つ気でプレーできる間は、かれら(自分の試合に賭け
ている選手)は、賭けても悪いことをしてるとは思わな
いことなのさ。試合に勝ちさえすれば、かれらはゴロを
ファンブルしたり、スコアリング・ポジションにランナ
ーが二人もいるのに三振したり、いいバッターに対して
速球をど真ん中に投げたりしても、誰かに損害を与えた
とは思わないのさ。しかも、そのため少し金がはいるな
ら、それにこしたことはない。これはどんなスポーツに
もあることだ。』
これは勝ち負けだけでなく、何点差で勝つかを賭けている場
合のことです。選手にすれば1点差だろうが、2点差だろう
が勝てばいいだろうという論理です。しかし、発覚すれば球
界追放で、二度と野球は出来ません。
トム・シーバーも作品の中でコーチにこういうことを言わせ
ています。
『最近じゃ、ルーキーだってベーブ・ルースが全盛期に取
ってたのと同じぐらいの高級を取ってるんだぞ。それな
のに、どうしてそんなもの(ギャンブル)に首を突っ込
む必要がある。それから、八百長については一人もいな
い。一人もだ。そもそも馬鹿げた話じゃないか。野球で
八百長が出来るのは、ピッチャーかピンチヒッターだけ
だ。それに、もしやったら、ギャンブルで損をするどこ
ろじゃすまないほどの痛い目を見ることになるんだから
な。ドラッグについては、噂は山ほどある。』
これは面白い文章です。「野球で八百長が出来るのは、ピッ
チャーかピンチヒッターだけだ」という部分は嘘があります。
投手が中心であることは間違いないと思いますが、内野手や
外野手がわざとエラーをしたり、バッターが打てるボールを
見逃せば、試合に負けることがある筈だからです。じゃあ、
何故こんな分かり切ったことを書いたのか。トム・シーバー
がピッチャーだったからです。ピッチャー以外のことは俺は
知らんと言っているような気がします。それと、最後のドラ
ッグの部分は「噂」でなく、現実に色々のことを知っている
筈ですが、口を閉ざしているわけです。こんな風に深読み出
来る文章があちこちにあって楽しめます。
球界を追放されるのは八百長だけではありません。禁止され
ている薬物を使用しても追放されます。前回紹介した、元プ
ロ野球選手の私立探偵マーク・レンズラー・シリーズの第3
作「永久追放」はマリファナ所持で球界を追放された元選手
の妻殺しの濡れ衣をはらすという物語です。前の2作ではマ
ーク・レンズラーの過去は2Aの選手だったのに、この3作
目では3Aの選手になっています。2Aと3Aでは大分違う
筈です。1作目を訳した人がこの3作目も訳しているのです
から分かる筈ですが、「あとがき」でひとことも触れていな
いのはいかがなものかと思います。「2A」を「3A]と訳
すようではプロの訳者とは言えないので、これは原作者のミ
スでしょう。
[深読みコーナー]
1919年のワールド・シリーズでの大リーグ史上最悪の八
百長と言われる「ブラック・ソックス事件」は、ホワイトソ
ックスの選手の年俸に対する不満が産んだと言っても過言で
はないでしょう。当時は今と違って9試合制でしたので、先
に5勝したチームの優勝です。対戦したのは、シカゴ・ホワ
イトソックスとシンシナテイ・レッズです。シューレス・ジ
ョー・ジャクソンのいるホワイトソックスが絶対有利と思わ
れていたシリーズですが、レッズが勝ったのです。ホワイト
ソックスがホワイトではなく、ブラックだったというところ
からブラック・ソックス事件と呼ばれているのです。
『とても勝ち目はないはずのナショナル・リーグのチャン
ピオン、レッズに多額の賭け金が流れ込んでいることか
ら、シリーズ開始前からは八百長が仕組まれた、との噂
は絶えなかった。シカゴの新聞は「忠告する。このシリ
ーズには賭けないこと。薄汚い噂が流れている」と書い
たほどだ。』(「野球は言葉のスポーツ」より)
このシリーズ、ホワイトソックスは第1戦、第2戦と予定通
りに負けますが5連敗ではあまりに露骨だと判断したのか、
第3戦に勝ちます。しかし、この第3戦も約束では負ける筈
だと書いている本もあります。
『賭博師と選手の間で、ダブルクロスがあったのではない
かという噂である。予定では第3戦でもソックスは負け
るはずだったのに、選手たちは賭博師のグループを裏切
って勝ったというのだ。』
(「アメリカン・ジャズエイジ」より)
そして、第4戦、第5戦も予定通りに負けます。これで1勝
4敗ですから、あと一回負ければいいわけです。所が、第6
戦と第7戦はホワイトソックスが連勝します。これについて、
「野球は言葉のスポーツ」ではこう書いています。
『ギャンブラーたちが選手側の首謀者ガンデイルに金を渡
すのが遅れた。ファンと新聞、さらに八百長に加わって
いないチームメートからの非難にさらされていた8人は、
ギャンブラーに裏切られたか、とうたぐった。夢中にな
って第6、7戦をプレーして連勝、しかし、金が届いた
第8戦ではカーブの名人ウィリアムスが1球もカーブを
投げずに打たれ続け、5対10で破れ、みにくいシリー
ズは終了した。』
この八百長事件の首謀者は証拠不十分らしく逮捕されずに、
そのままになっています。はっきりしたことが分かっていな
いからかも知れませんが、メデイアは関係した選手達のこと
は詳しく追求しているのに比べて、首謀者の追求にはあまり
熱心ではなく、わざと書くのを控えているような気がしない
でもありません。弱い立場の選手のことはいくら書いても安
心ですが、相手がギャング達では身の危険があるからでしょ
うか。弱者に厳しく、強者に弱腰なメデイアの特徴が現れて
いるのでしょう。常磐新平氏が「アメリカン・ジャズエイジ」
という本の中で、この事件に関する様々はエピソードを集め
て紹介していますが、この事件で儲けたのは結局、「嘘だと
言ってよ、ジョー」というキャッチフレーズを作り出したメ
デイアだけだったのではないでしょうか。騒げば騒ぐ程売り
上げが増えるからです。当時はテレビはまだありませんから、
新聞、雑誌、ラジオが中心です。その中にフィッツジェラル
ドも含まれるかも知れません。彼は「華麗なるギャツビー」
の中で、首謀者と言われているアーノルド・ロスタインをモ
デルにした人物を登場させています。それも重要な役で。
『「メイヤー・ウルフシェームだろう?いや、賭博をやる
男だよ」ギャツビーはためらっていたが、やがて平然と
して言い添えた。「昔1919年にワールド・シリーズ
を買収した男さ」』
フィッツジェラルドはメイヤー・ウルシェームを「鼻の平べ
ったい小男のユダヤ人が、大きな頭をもたげて、二塊りに分
けたみごとな髪の毛が、両方の鼻の穴まで伸びている顔で」
と表現しています。
ジェセフ・ダーソーの「アメリカンドリーム・大リーグとそ
の時代」にこういう文章があります。
『八百長工作には二つの賭博グループが関連していたが、
首謀者は10万ドル賭けたと伝えられたニューヨークの
アーノルド・ロスタインであり、別のグループはフィラ
デルフィアのエイブ・アッテルを中心とした一団で、こ
ちらは1万ドル賭けたといわれている。』
ドナルド・グロップマンの「折れた黒バット」は「ジョー・
ジャクソンとブラック・ソックス事件」と副題をつけた本で、
こう書いています。
『そもそも発端から、混乱と欺瞞と虚構が事件全体につき
まとっていたのだ。』
『当事者の何人かは大陪審で証言し、関連する刑事訴訟や
民事訴訟の場でも証言台に立った。もちろんマスコミに
対して無責任にしゃべった者もいる。ともかく、誰の証
言も事件の本質に触れるところでは多くの矛盾を見せて
おり、結局のところ、本当に何があったのかは、いまだ
にやぶの中なのだ。』
グロップマンはダーソーのように断定はしていなくて、「事
件の背後には暗黒街の帝王といわれたアーノルド・ロスタイ
ンが控えていたのではないだろうか」としか書いていません
が、1974年に作られた映画「ゴッド・ファーザー2」で
ギャングのボスが次のような台詞を口にしていますので、噂
としては定着していたと考えられます。
『わしは野球が好きだ。1919年にアーノルド・ロスタ
インがワールド・シリーズの八百長を仕組んで以来、好
きになったのだ。』
これは「野球は言葉のスポーツ」からの引用ですが、映画の
実際の字幕ではこんなに長くはありませんでした。テレビで
フットボールを見ていた老ボスが訪れて来たマフィアの若手
ボスに「わしは野球も見る。野球はロスタインがやってから
好きになったのだ」と言っていたような気がします。この老
ボスはリー・ストラスバーグが、若手ボスはアル・パチーノ
が演じていましたが、実はリー・ストラスバーグはアクター
ズ・スタジオで演技指導をしていて、マリリン・モンローも
ジェームス・デイーンも教え子で、アル・パチーノも彼に教
わった一人なのです。ですから、この場面は先生と生徒の演
技対決という見方も出来るのです。アル・パチーノもやりに
くかったでしょうが、先生の方がもっとやりにくかった筈で
す。
フィッツジェラルドは「華麗なるギャツビー」の中で、語り
手のニックがギャツビーが殺されたあとに葬式に出てくれる
ようにウルフシェームに頼みに行った場面で、ウルフシェー
ムにこう言わせています。
『相手が生きているうちに友情をしめして、死んでからは
知らん顔するように勉強しようじゃないか。そのあとは、
わしは自分じゃ何事も放っておくのが掟なんだ』
アーノルド・ロスタインはこの事件では証拠不十分だったの
でしょうか、逮捕されずに済みましたが最後は殺されます。
その犯人も逮捕されずに、結局、すべてが闇の中です。その
為、メデイアの人間があれこれ噂を集めて書きなぐっていて、
ウルフシェームの台詞のように放っておいてはくれなかった
のです。フィッツジェラルドが「華麗なるギャツビー」を出
版したのは1925年です。つまり、事件が起きた6年後で
す。つまり、ブラック・ソックス事件の首謀者として、アー
ノルド・ロスタインの存在は、この頃にはすでに知れ渡って
いたということを意味しています。
(引用文献)
●「殺戮投法」(1989)
トム・シーヴァー&ハーブ・レズニコウ著・戸田裕之訳
・新潮文庫(1999)
●「狙われた大リーガー」(1985)
ウィリアム・G・タプリー著・島田三蔵訳
・サンケイ文庫(1987)
●「野球は言葉のスポーツ」(2002)
伊東一雄・馬立 勝著・中公文庫
●「永久追放」(1987)
ポール・エングルマン著・大貫のぼる訳
・扶桑社文庫(1990)
●「アメリカンドリーム・大リーグとその時代」(1986)
ジョセフ・ダーソー著・武田 薫訳
・ベースボール・マガジン社(1991)
●「折れた黒バットージョー・ジャクソンとブ
ラック・ソックス事件」(1984)
ドナルド・グロップマン著・小中陽太郎訳
・ベースボール・マガジン社(1986)
●「華麗なるギャツビー」(1925)
スコット・フィッツジェラルド著・大貫三郎訳
・角川文庫(1957)
●「アメリカン ジャズ エイジ」(1981)
常磐新平著・集英社文庫
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私のHPは「中原行夫の部屋」です。
http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/
(連載状況)
「昭和32年の映画館」は静岡県磐田郡、小笠郡まで。
「新宿・武蔵野館の上映記録」は昭和49年12月分まで。
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