2006.06.21
ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 第207号
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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 第207号
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☆ This Week's Contents 【今週のお品書き♪】
《Dream1》 『にっぽん野球昔ばなし』 九時星
《Dream2》 『野球記録あら?カルト(ぼーる通信版)』 久保拓也
《Dream3》 『ニグロリーグと愉快な仲間たち』 MB Da Kidd
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★ お品書きその1 『にっぽん野球昔ばなし』 九時星
第四十八回 職業野球団、来日す(前編)
野球人気が高まれば野球用具の需要も高まるのでありまして、
逆に言いますと野球用具の売り上げを上げるには野球人気を高め
ればいいということで、プロ選手を集めてチームを作り世界各国
を巡業して野球人気を広げようという運動用具店も出てくるので
ありました。
その嚆矢が日本最初のクラブチーム、新橋アスレチック倶楽部
に用具やルールブックの支援をしたスポルディング社でありまし
て、明治21年(1888年)プロ選抜軍を編成し、イギリス、アイル
ランド、フランス、エジプト、セイロン、オーストラリア、ハワ
イを遠征したのでありますが、それから20年、フィラデルフィア
に本拠を置きアメリカ野球界の使用球のほとんどをまかなう運動
具店・リーチ社がプロ選抜チームを編成しいよいよ東洋遠征に向
かったのであります。その名もリーチ・オール・アメリカン・ス
ター・ベースボール・チーム。
当時の船旅でありますから、サンフランシスコから約20日かけ
て横浜に到着したのが明治41年11月21日、その翌日には早くも早
稲田との対戦が始まったのでありました。この試合に先立ちシル
クハットにフロックコート姿の大隈重信候が隻脚をささえるステ
ッキをついてマウンドへと上がり、シルクハットを脱いでリーチ
軍投手の帽子を被ると「オーバーシャツ(ユニフォーム)はいい
かね」と冗談を言いながら二、三歩あるいて下手から投げたボー
ルは転がりながら捕手のミットへ、それを審判がかねて準備の革
製の小箱に収め大隈候に進呈、場内大拍手。これが日本初の始球
式でありました。
さて試合は長旅の疲れも見せずリーチ軍が早稲田を5−0と一
蹴すると、翌23日には東京倶楽部を19−1、慶応を3−0と連
破、24日には東京連合チームに11−4、25日には横浜外人倶楽
部に17−1、26日には横浜連合チームに11−0と大勝を続け、
27日慶応を6−0、28日早稲田を3−0、29日慶応6−0、30日
東京倶楽部8−5、翌12月1日は早稲田を13−2、2日慶応を
15−2、3日早稲田を10−0、東京連合チームを3−0と、
12日間に14試合して全勝、まさに無人の地を行く快進撃でありま
して、日本野球の最高峰と自他共に認める早慶両校に対しても対
早稲田4試合の合計点は31−2、対慶応4試合計は30−2と圧
勝したのでありました。
「リーチ軍強し」の報は瞬く間に全国へと伝えられ、次の対戦
地となる神戸では神戸新聞が「全米野球団の襲来」と題し、「神
戸軍は如何に戦うか」という特集を組むほどの熱の入れようであ
りました。
記事に曰く
「野球団を以て商売として居る米国に於ける最強のチームであ
って、此程東京の早稲田・慶応其他の野球団を片ッ端よりメチャ
メチャに叩きつけて其勢力の旺盛なる事とても我が球界の敵では
無い」
「米国に於ける野球の商人中で選り抜いた強者で、ちょうど日
本に於ける力士中の常陸山とか梅ケ谷・大木戸・放駒・太刀山・
荒岩など云うようなものばかりであるから強いはず」「神戸倶楽
部に於てもかくの如き強敵に当るには、どうしても理想的チーム
を組織して当らねば大関に対して宮角力のチョコチョコが打ち掛
かるようなもの」
というわけで神戸倶楽部が現役の早慶選手である倶楽部員を呼
び寄せこの大敵との対戦準備を進めているとの記事と共に神戸倶
楽部とリーチ・オール・アメリカンの選手を紹介し神戸市民の野
球熱を高めるのでありました。次回にっぽん野球昔ばなしは「職
業野球団、来日す」その後編です。
(九時星)
日本プロ野球史探訪倶楽部 http://www.d7.dion.ne.jp/~xmot/
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★ お品書きその2 『野球記録あら?カルト(ぼーる通信版)』 久保拓也
第1回 インプレー率とインプレー打率 〜その1〜
読者のみなさん、はじめまして。野球記録あら?カルトという
野球の記録のサイトを運営しております、久保拓也と申します。
今回よりぼーる通信にて執筆させていただくことになりましたの
で、よろしくお願い申し上げます。
さて、インプレー率とインプレー打率。これはいったい何でし
ょうか。編集長のMBさんが自分のサイトをチェックしたとき、
真っ先に出てきた質問がこれでした。そこで私はそのリクエスト
に応え、これから書いてみることにしたわけです。
まず『インプレー率』とは、バッターが打席に立ったとき、ど
れだけの打球をフィールドの扇形の中に打ち込んだか、というも
のです。そしてインプレー率が高いということは、その打者の時、
打球がフィールドのどこかに行くという確率が高いということで
すから、その打者の時には、決して目が離せないということにな
ります。
一方、『インプレー打率』とは、三振や打撃妨害、犠打と犠飛
を除き、バットに当たった時の安打の確率のことです。要するに
「バットに当たったら安打が出る指標」と捉えていただければ結
構です。
そこで、このインプレー率、あるいはインプレー打率が示すも
のについて考えてみましょう。
たとえば我々一般ファンが“プロ野球史上最高の打者”という
テーマで呑み屋などで語り合うとき、王貞治の名前を避けて通る
ことはできません。
しかし、『球の行方から目が離せない』という点において王選
手が優れているかといえば、必ずしもそうではないかもしれない
のです。というのも、王選手は、昨年までに一流の打者の証とい
われる4000打席を記録した261選手の中で、インプレー率は.678
と255番目の選手だからです。
このように、卓越した選球眼という稀有な能力により、フォア
ボールが多くなるために、インプレー率においては、わくわくさ
せる選手にはあたらなくなってしまう可能性が出てきてしまうの
です。
ただ、インプレー率が高ければファンをわくわくさせることが
出来るかといえば、必ずしもそういうわけではないというのは、
冷静に考えればわかることです。というのも、いくらインプレー
となって試合が動くきっかけになる機会が多くても、結果が伴わ
なければファンは喜ばないのは自明のことですから。だからこの
際 には、インプレー打率も、これにあわせて判断するのです。
たとえば、インプレー率が高くてもインプレー打率が低い代表
的な選手というと、鎌田実選手が挙げられます。鎌田選手は、昨
年まで通算4000打席以上を記録した選手261選手の中で歴代3位の
.889のインプレー率を誇っていますが、インプレー打率は.247
でしかない。このインプレー打率は、インプレー率.850以上の
選手34人の中では最下位ですので、鎌田選手には失礼な言い方か
もしれませんが、鎌田選手の打球でガッカリしたことのあるファ
ンは、鎌田選手と同時代に生きたひとたちの中には少なからずい
るのではないか、と私は推測しています。
したがって、インプレー率が優れており、かつインプレー打率
も優れている。この両方が伴った選手がもっともファンを楽しま
せることが出来る選手、すなわち「FAN TO WATCH」
となりうる選手なのではないかと私は考えています。そこで今回
からしばらくの間、1リーグ時代、1950年代、1960年代、1970年
代と年代別に、「FAN TO WATCH」となりうる選手た
ちについて検証してみたいと思います。
1リーグ時代、2000打席以上を記録したのは49人。次回は、この
年代の選手について見ていきましょう。
(久保拓也)
野球記録あら?カルト
> http://www16.ocn.ne.jp/%7Ekarin/
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★ お品書きその3 『ニグロリーグと愉快な仲間たち』 MB Da Kidd
第5回 ニグロリーグのあけぼの 〜その5〜
読者のみなさまこんばんは。今回は、キューバン・ジャイアン
ツというニグロリーグ球史における強豪チームについて、さらに
詳しく見ていきます。
ですがその前に、私自身の調査の結果、第4回までの記述にい
くつか誤りがあり、まずはその説明を軽くしておきたい、と思い
ます。
私は第3回の連載にて、“黒人初のプロ野球選手は、1879年、
当時ナショナル・リーグ所属のプロヴィデンス・グレイズにおい
て1試合だけ出場したとされている、ブラウン大学の学生であっ
たウィリアム・エドワード・ホワイトが最初であるとされている
が、通説では初のメジャーリーガーでもあるモーゼス・フリート・
ウォーカーである”と書きましたが、これは誤りです。
これは、私自身が第1回で紹介したバド・ファウラー(ジョン・
ファウラー)という球史3人目のメジャーリーガー(これについ
ても、当時彼が所属したウェスタン・リーグ所属のケオカクスを
どう捉えるか、によっても変わってきます)が、1878年にペンシ
ルヴァニア州ニューカッスルの白人プロフェッショナルチームに
参加したのが最初でした。
また、第3回にて、
> カットが殺されたころ、ナショナル・アソシエーション・オヴ・
プロフェッショナル・ベースボール・プレイヤーズからナショナ
ル・アソシエーション・オヴ・プロフェッショナル・ベースボー
ル・プレイヤーズが分離すると、アメリカ球界は、アマチュアか
らプロの時代に入ります。
と書いたのですが、正確には、
> カットが殺されたころ、ナショナル・アソシエーション・オヴ・
ベースボール・プレイヤーズからナショナル・アソシエーション・
オヴ・プロフェッショナル・ベースボール・プレイヤーズが分離
すると、アメリカ球界は、アマチュアからプロの時代に入ります。
となります。もともとアマチュアの組織であったナショナル・
アソシエーションからプロの選手たちが脱退してプロ組織として
のナショナル・アソシエーションをつくったのは以前にも述べた
とおりですので↓
> http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/KiddBusiness.htm#NPBJyunan18
これについても誤解を与えてしまう誤記をしてしまい、申し訳
ありませんでした。なお、修正についてはすべて完了しておりま
すので、以前の連載はこちらからご確認いただけますし↓
> http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Negroleague2.htm
また、ある程度話が進んだら、きちんと理解できますよう、時
系列でまとめなおして、読者のみなさまにはお読みいただけるよ
うにしたいと考えておりますので、よろしくお願いします。
さて、前置きはこれぐらいにして、今回は、初の黒人プロフェ
ッショナルチーム、キューバン・ジャイアンツの話です。
19世紀後半から末にかけてのアメリカ東海岸では、第3回にも
登場した、19世紀版ジョージ・スタインブレナーといわれる豪腕
プロモーターのオクタヴィウス・カット率いる、フィラデルフィ
ア・フィティアンズという強豪セミプロチームがフィラデルフィ
アに誕生したのですが、本格的なプロチームとして黒人チームが
登場したのは、このキューバン・ジャイアンツが最初でした。
第3回でも軽く触れたとおり、このチームは、白人実業家のウ
ォルター・クックが、ニューヨーク・ロングアイランドのアーガ
イルホテルのウェイターや荷物係の黒人を集めてつくったチーム
ですが、1885年の際のチーム創設当初の名前は、アスレチックス
といいました。しかしすぐに、キューバン・ジャイアンツと改名
したのです。
このアスレチックス、のちのキューバン・ジャイアンツは、夏
季において、白人客を楽しませるための野球チームとして誕生し
ました。いうなれば、日本における天勝野球団のような存在だっ
たのです。
ちなみに天勝野球団という日本における史上2番目のプロチー
ムは、大正10年当時の日本の芸能界における大スター、松旭斎天
勝という女手品師の興行のオプションとして誕生したチームです
が、本業の客寄せ媒体、ならびに広告宣伝媒体として誕生した経
緯については、これら両者は驚くほどよく似ております。
しかしこのキューバン・ジャイアンツ、アフリカン・アメリカ
ン版日本運動協会ならびにシンシナティ・レッドストッキングス
が、日本球界における日本運動協会の立場やアメリカ球界におけ
るシンシナティ・レッドストッキングスの立場と大いに異なって
いたのは、すでにナショナル・リーグならびにアメリカン・アソ
シエーションというメジャーリーグが、先駆者として誕生してい
たところでした。そして白人プロモーター、ジョン・F・ラング
の手配により、アメリカン・アソシエーション所属の地元チーム、
ニューヨーク・メトロポリタンズとエキシビジョンマッチを行い、
11-3で敗れますが、このように、有名チームと闘うなどして、次
第に名声を高めていくことになります。
次回は、このチームを運営する白人実業家としてウォルター・
クックが加わってからの、キューバン・ジャイアンツの快進撃に
ついて紹介していきます。
(MB Da Kidd)
【参考資料・web】
・NLBPA Official Site
> http://www.nlbpa.com/
・Shoeleather History of Hartford
> http://www.homestead.com/homefront/blackball.html
・A Completely History of the Negro Leagues 1884 to 1955
Written by Mark Ribowsky, 1997 Citadel Press
・Sol White’s History of Colored Baseball(Originally written by Sol. White in 1907) with other documents on the early black game, 1886-1936
Introduction by Jerry Malloy, 1995, Bison Books
・Out of the Shadows ?African American Baseball from the Cuban Giants to Jackie Robinson
?Edited and with an introduction by Bill Kirwin, 2005, Bison Books
・異端の球譜 「プロ野球元年」の天勝野球団 大平昌秀著 サワズ出版、1992
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