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ぼーる通信


2006.07.11

ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 第211号


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  ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 第211号

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☆ This Week's Contents 【今週のお品書き♪】

 《Dream1》 『にっぽん野球昔ばなし』 九時星
 《Dream2》 『野球記録あら?カルト(ぼーる通信版)』 久保拓也
 《Dream3》 『ニグロリーグと愉快な仲間たち』 MB Da Kidd

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★ お品書きその1 『にっぽん野球昔ばなし』 九時星

 第四十九回 職業野球団、来日す(後編) 

 一試合平均9得点、日本最強と目されております早慶両校との
対戦に限っても平均7点を越す得点を挙げ14試合全勝の快進撃で
神戸に現れましたるリーチ軍、東京の試合から中一日置いた12
月5日、まず第一戦の神戸クリケット倶楽部(KCC)を14−2
で一蹴、改めてその実力を見せ付け、翌6日に神戸倶楽部との対
戦を迎えたのであります。

 「日は小春和の好天気、精鋭を以て関西に鳴れる神戸野球倶
楽部が更に早慶の部員を呼び来りて強敵米軍と鎬(しのぎ)を
削るべしとの呼声は熱球児の血を湧かしめて朝来東遊園地に押
駆けたるもの無慮幾千名、流石に広きグラウンドも入る人を以
て填(うず)もれん許りの大盛況を呈し本塁より右翼にかけた
る桟敷と三塁より右翼に亘る一面は立錐の地なきまま、人山を
築き開戦今や遅しと待構へたる光景は凄まじき頃、米軍先づ入
場するに続いて神戸倶楽部は新調のユニフォームに英語にて神
戸と赤抜きせるをまとひ、意気凛々として顕(あら)はれたり」
(神戸新聞) 

 神戸の野球熱を高めたこの一戦、6−1でリーチ軍の勝利と
なったのでありますが、圧勝続きのリーチ軍を6点に抑えたエー
ス菅瀬一馬の力投が光ったのでありました。

 翌7日には神戸倶楽部と神戸高商、神戸商業、神戸一中などの
連合軍がリーチ軍に挑んだのでありますが0−10で完敗、リ
ーチ軍は戦績を17戦全勝とし、最後に神戸倶楽部、KCCを加えた
紅白戦を行って日本を後にしたのでありました。
 慶応の主力選手であり神戸倶楽部の選手としてもリーチ軍と
対戦した佐々木勝麿と神吉英三によるリーチ軍評が神戸新聞に
発表されておりますので以下にご紹介いたします。 

 「全米国野球軍とは同軍渡来以来しばしば戦って大に得る処
があった。殊に米軍は我々の如き学生とは違って流石は野球を
職業として居るだけあって、彼等のシグナルの巧妙なる事は驚
くばかりで、我等学生団に於ても此暗号を用ひての駆引は行う
がややもすれば敵に看破されて不覚の敗を招く事がある。然る
に彼等の暗号は全く暗黙の間にチャンと呼吸が合って駆引を行
って居るので、とても看破する事が出来ない。それであるから
彼等の勝因は六七分まで巧妙なるシグナルによると云ってもよ
い。」 

 「米国に於ては近時左手で投球することが専ら行はれて居る。
然し日本には未だ左利きの投手が無く、したがって左手の投球
に対しての練習と云ふものがない。其処へ持って来て米軍の投
手バアーンスは神に入るの技術と捕手とのシグナルに依って打
者の欠点を看抜いて投球するのであるから堪らない。又球が速
いと云うだけなら此方にも其覚悟があるから別段驚かないが、
カーブの角度が鋭いのや速いと思ふ球が一間(約1.8m)くらい
前から其速度を緩めてフワリと来る手品的な球には実に面喰っ
てしまふ。」

 「捕手の活動と走者のスライデングは学ぶ処があった。三塁
へ打った球を塁手が第一塁へ投げるとき捕手が第一塁に駆け付
けて万一に備へるなどは我々が従来せらなかった所である。走
者が足から先にすべり込むのは種々なる点に於て利益である。
其他色々と彼等の為学ぶ処がすこぶる多かった。」 

 リーチ・オール・アメリカン・チームは日本野球界に大きな
衝撃を与え嵐のように去っていったのでありますが、この頃、
野球人気は高まる一方でありまして野球場を建設する企業も現
れたのでありました。次回にっぽん野球昔ばなしは「羽田野球
場と倶楽部対抗」です。 

参考文献:神戸の野球史<黎明記>、棚田眞輔著、六甲出版

(九時星)

 日本プロ野球史探訪倶楽部 http://www.d7.dion.ne.jp/~xmot/

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★ お品書きその2 『野球記録あら?カルト(ぼーる通信版)』 久保拓也

 野球記録あら?カルト・ぼーる通信版 
 第2回 インプレー率とインプレー打率 〜その2〜

 読者のみなさまこんばんは。前回は、上記のテーマであるイ
ンプレー率とインプレー打率について軽く説明させていただき
ましたが、今回は、各年代別に代表的な選手を取り上げ、その
時代ごとの変化を見ていきましょう。 
 ちょっと、1リーグ時代の選手たちについて紹介する前に、
全体的な傾向をおさらいしておく必要があると感じたため、予
定を変更します。 

 まず、各年代、および全時代を通して、最高の『インプレー
率』ならびに『インプレー打率』を記録した選手の名前とその
数字を、下に記してみます。 

(インプレー率) 

1リーグ   野口 二郎    .907
1950年代  引地 信之    .903
1960年代  鎌田 実     .889
1970年代  弘田 澄男    .885
1980年代  新井 宏昌    .882
1990年代  正田 耕三    .841
2000年代  真中 満     .852
通算    後藤 次男    .915

(インプレー打率) 

1リーグ   大下 弘     .337
1950年代  与那嶺 要    .362
1960年代  王 貞治     .360
1970年代  加藤 英司    .360
1980年代  落合 博満    .374
1990年代  イチロー    .380
2000年代  Alex Cabrera   .414
通算    Ralph Bryant  .431

【注:いずれも3,000打席以上】 

 これらの数字を見ていると、以下のようなことがわかります。 

 各年代、ならびに全時代を通して1位のインプレー率を記録し
ている選手は、チームにとってのサブ的役割を担ってきた選手ば
かりです。つまり、こういった選手のみなさんは決して主役にな
ることはないのですが、チームの勝利をお膳立てする上において
は、絶対に欠かせぬ存在になってきたのです。 
 そして彼らに共通しているのは、主に2番打者であったことで
す。1番打者が出塁したら、進塁打や犠牲バントという手段で、
フェアゾーンにボールを転がし、バッターを進める。したがって、
とにかくバットにボールを当てるのがうまい選手が、上位に顔を
出しているわけです。 
 また、犠牲バントはインプレー率に含まれているので、バント
の多く求められるこの手の選手が、インプレー率を稼ぐという点
では有利な面があるため、普通に打つバッターと比べ、どうして
もインプレー率は高くなります。したがって、インプレー率の高
さは必ずしも、その選手が優れた打者であることを示さない、と
いう意見があるのは事実です。 
 しかしながら、打順柄進塁打を要求されることが多い彼らは、
三振を奪いにくい打者であることが多く、特に新井宏昌は、シー
ズン規定打席以上の打者の中で、リーグ最少三振を6度も記録し
ている好打者です。この点を踏まえずに、インプレー率の高い打
者をあまり評価しないわけにはいかないでしょうし、また、イン
プレー率を語るにあたっては、この点を見逃すわけにはいきませ
ん。 

 それから、各年代ごとの特徴としていえるのは、年代が新しく
なるにつれ、インプレー率は低く、インプレー打率は高くなって
いるということです。これなぜかというと、上記の説明とすこし
かぶりますが、全体の傾向として、三振の数が増えているからで
す。三振が増えてくれば、ボールがフェアゾーンに飛ぶ確率は低
くなりますから、当然インプレー率は低くなってくるわけです。 
 一方、三振や打撃妨害、犠打と犠飛を除き、バットに当たった
時の安打の確率となっているのがインプレー打率ですから、三振
が増えれば当然、バットにボールが当たる確率が減る以上、ヒッ
ト数が変わらなければ、これは高くなってきます。 
 現代はピッチングテクニックが向上し、ピッチャーが三振を取
りやすくなってきていますから、シーズン100三振以上の首位打者
が生まれるなどの現象も起きています。したがって、三振は打者
の技術をもってしても防げなくなってきており、インプレー打率
が高くなるのは時代の必然といえましょう。

 では続いて、インプレー打率が表すものについて、考えてみま
しょう。 

 まず、上記のリストにおける、各年代、ならびに全時代を通し
て1位のインプレー打率を記録している選手を見てみます。する
と、各年代、ならびに、球史を代表するような最高の選手と言っ
てもよいくらいの顔ぶれがずらりと並びます。 
 しかしながらインプレー打率はあくまでも、バットに当たると
怖いという観点から見た数字なので、この数字が高い選手たちは
最高の選手たちであるかもしれませんが、最強の打者たちである
とは言い切れない面があります。  
 たとえば3,000打席以上を記録した選手のトップのインプレー
打率を叩き出しているのはラルフ・ブライアント選手(近鉄バフ
ァローズ)ですが、確かに怖い打者ではあったものの、穴が多く、
三振の多い選手でした。したがって、どこに投げても打たれそう
という打者ではなかったのです。ですから、インプレー打率が優
れていても最強打者と言えない、とされているのはそれが理由だ
ったりするわけです。

 さて、今回は年代別に名前を挙げてインプレー率とインプレー
打率について語ってみましたが、これらの分析を通じていえるこ
とは、ファンが楽しめる選手というのは打球が前に転がる確率が
高く、かつ結果が良い選手なのです。王選手のような最強の打者
ではないかもしれませんが、この選手の球の行方は大いに楽しむ
ことができる、というのが、見ていて楽しいわけです。
 観客は、バッターが四球を選ぶことを求めているのではありま
せん。フィールドに転がる球の行方を楽しむのです。そして、そ
れをできる選手こそが、「ファンを楽しませる選手」なのです。

(久保拓也) 

野球記録あら?カルト 
> http://www16.ocn.ne.jp/%7Ekarin/

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★ お品書きその3 『ニグロリーグと愉快な仲間たち』 MB Da Kidd

 第6回 キューバン・ジャイアンツの快進撃 

 読者のみなさまこんばんは。今回も再び、訂正とお詫びから入
らねばなりません。伏してお詫び申し上げます。 

 第3回にて私は、 

> 黒人がメジャーリーグから締め出される状況が着々と進む中、
初の黒人プロ野球チームが誕生します。白人実業家のウォルター・
クックがニューヨークのアーガイルホテルのウェイターや荷物係
の黒人を集めてつくったこのチームは、キューバン・ジャイアン
ツと名づけられました。 

 と述べ、これに基づき、前回にて、 

> 第3回でも軽く触れたとおり、このチームは、白人実業家のウ
ォルター・クックが、ニューヨーク・ロングアイランドのアーガ
イルホテルのウェイターや荷物係の黒人を集めてつくったチーム
ですが、1885年の際のチーム創設当初の名前は、アスレチックス
といいました。 

 と述べてしまいましたが、これは、訂正箇所を見過ごしてしま
った私のミスです。大変申し訳ございません。なお、この箇所に
ついては、このキューバン・ジャイアンツにも参加した、初の大
卒黒人プロ野球選手であり、初の黒人野球史家でもあるソル・ホ
ワイトが、以下のような記述を、自らが1907年に記した”Sol 
White’s Official Guide: History of Colored Base Ball(ソ
ル・ホワイトの公式野球ガイド:有色人種の野球の歴史)”にて
残しています。 

“1885年のことだった。ニューヨークのロングアイランド、バビ
ロンというリゾート地域にあるアーガイルホテルのウェイターの
長であったフランク・P・トンプソンが、同ホテルの従業員たちの
中から選手を選び、チームをつくった。これは、ホテルに泊まる
白人客たちを楽しませるためのアトラクションとしてつくられた。” 

 したがって、このチームはトンプソンによって創設されたわけ
で、もしもクックがつくったことになってしまうと、前回の最後
の、 

> 次回は、このチームを運営する白人実業家としてウォルター・
クックが加わってからの、キューバン・ジャイアンツの快進撃に
ついて紹介していきます。 

 この記述と矛盾してしまいますから、ここできちんと訂正して
おくことにいたします。 

 さて、話はキューバン・ジャイアンツに戻ります。 
 1885年夏に創設されたキューバン・ジャイアンツは、その年の
秋には早速メジャーのチームであるニューヨーク・メトロポリタ
ンズと対戦し、敗れはしたものの、次第に名声を高めていったの
は、前回にも記したとおりです。そして、翌年の1886年には、急
造チームとしての欠点を克服し、40連勝を記録します。 
 しかし、このチームは所詮、巡業チームだったので、ホームタ
ウンといえるフランチャイズシップを置くための街がありません
でした。 

 そんな状況の中、チームはトレントンという街に立ち寄ります。 
 このトレントンという街は、1885年まではいまのマイナーリー
グのレベルの、プロのチームが本拠地にしていました。しかしそ
のチームは、近くのジャージーシティに本拠を移してしまってい
たのです。 
 したがってキューバン・ジャイアンツという根無し草のチーム
がこの街に立ち寄ったとき、この主なき街は、新たな主を求めて
いました。そこで、ウォルター・E・トンプソンという実業家が間
に立ち、キューバン・ジャイアンツは、トレントンを本拠地とし、
チェンバースバーグ・グラウンズを新たなホームグラウンドとす
ることになったのです。そしてトンプソンは話を取りまとめての
ち、2ケ月もたたないうちに、同じ実業家のウォルター・I・クッ
クにこのチームを売却したのです。 

 クックとキューバン・ジャイアンツの出会いは、燃え上がる恋
のはじまりにも似たものでした。 
 クック自身はアメリカ東海岸における有数の資産家の一族で、
彼は、愛情をもって、惜しみなく自分のお金をチームに注ぎ込み
ました。これについては特に、病気や怪我をした選手たちがこれ
に感謝したといいます。というのも、クックは、こういった選手
たちに対する面倒見が非常によかったからです。 
 またクックは、白人の観客を喜ばせるために、選手たちに知恵
を授けました...アメリカ黒人ではなく、キューバ人のように
ふるまい、言葉遣いも、スペイン語訛りの英語をしゃべろう、と
提案したのです。そしてこの案は、白人客に大ウケしました。そ
の言葉遣いや態度が滑稽だったからです。ただ、いかにもアメリ
カ人っぽい名前の選手たちだったので、この演出に疑いの目を向
ける人も大勢いましたが。 

 トレントンに定着後、キューバン・ジャイアンツの試合結果が、
地元2紙、“タイムズ”と“トゥルー・アメリカン”に掲載され
るようになり、その強さを紹介するようになります。 
 実際、この時期のキューバン・ジャイアンツの打撃陣は長打力・
確実性を備え、野手は走塁に長けていました。攻撃の核は、主将
にして俊足2塁手のジョージ・ウィリアムス、センターのベン・
ボイド、強打のキャッチャーであるクラレンス・ウィリアムス、
ファーストのアーサー・トーマス、ショートのエイブ・ハリソン
といった名選手たちがいました。また、守備でも、3塁手のベン・
ホームズはとんでもない強肩だったのです。 
 また、ブルペンも強力でした。シェップ・トラスティ、ビリー・
T・ホワイト、ジョージ・パラーゴは先発の三本柱として活躍した
だけでなく、ときには外野手として試合にも参加しました。特に、
背の高いトラスティについては、地元紙は“アメリカ最高の有色
人種のピッチャー”という称号を与えました。ジョージ・ストー
ヴィーがこのチームに加わるまでは。 

 次回は、このストーヴィーの話から入っていきます。 

(MB Da Kidd) 

【参考資料・web】 

・NLBPA Official Site
> http://www.nlbpa.com/

・A Completely History of the Negro Leagues 1884 to 1955
 Written by Mark Ribowsky, 1997 Citadel Press

・Sol White’s History of Colored Baseball(Originally 
written by Sol. White in 1907) with other documents on 
the early black game, 1886-1936
 Introduction by Jerry Malloy, 1995, Bison Books

・Out of the Shadows ?African American Baseball from the
 Cuban Giants to Jackie Robinson
 Edited and with an introduction by Bill Kirwin, 2005,
 Bison Books

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 ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜は、大リーグに
こだわった、掲示板がとても楽しくて活発なサイト、牛親方のMLB
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 の牛親方の協力を得ています。 

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引用等については事前に必ずmountainbook91@yahoo.co.jpに
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なお、無断で記事を利用して生じた損害等の責任は、一切負
いません。

(c)2002 ぼーる通信 
〜Voice From The Dreamfield〜 編集部

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