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ぼーる通信


2006.08.10

ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 第214号


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  ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 第214号

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☆ This Week's Contents 【今週のお品書き♪】

 《Dream1》 『ホットタイガース』 じん
 《Dream2》 『プロ野球事件簿』 アトムフライヤー
 《Dream3》 『ニグロリーグと愉快な仲間たち』 MB Da Kidd

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★ お品書きその1 『ホットタイガース』 じん

 第50回

 毎年恒例の夏の甲子園詣でなのですが、今年は7月末のスワローズ
戦2試合に行ってきました。実は今年の甲子園観戦では、ゴールデン
ウィークのときもスワローズとの試合でした。
 関東在住ということで、せっかく甲子園まで出張るのであれば、
普段見れないカープやドラゴンズとの対戦がいいなぁと思っている
のですが、ちょっと日程的にはついていませんでした。まぁ、贅沢
は言えませんが。

 ちょうど、オールスター明けのナゴヤでの首位攻防、見事に3タテ
を食らってしまった直後の試合でした。ナゴヤでの試合は、ちょっ
と最初から分が悪かったかなぁという印象でした。慢性的な打撃不
振というのはありましたが、やはり打線にしろ、そして久保田が抜
けた投手継投にしろ、残念ながら、この期に及んで、まだチームと
しての形が整っていないというのが現状でしょう。対してドラゴン
ズは福留が戻ってきて、万全の状態で後半戦をスタートしましたか
らね。ただ、まだまだ直接対決が残っているのが救いです。大事な
のは、その直接対決までに離されずに、じっくりと態勢を整えるこ
と。それだけに他のチームには負けていられません。

 ドラゴンズとの対戦で先発の3本柱、井川、福原、下柳を投入した
タイガースは、この2試合、オクスプリング、中村泰という実績に乏
しい2人の先発でした。2試合とも、とにかく投手陣は四球連発、そ
して打撃陣も相変わらずチャンスに一打がでないという典型的な
「胃の痛くなる」試合でした。

 それでも、何とか試合になったのは、守備の堅さでしたね。こと
ごとく、ピンチを防ぐ好プレーが続出しました。特にオクスプリン
グが先発した試合の藤本は圧巻でした。初回の立ち上がり、いきな
り青木に四球、リグスにヒットで、しかもボール先行の厳しい内容
でしたが、続く岩村の当たりをダイビングキャッチして二塁封殺。
そして、延長に入ってからの二死1,2塁のピンチでも青木の打球をダ
イビングキャッチで失点を防ぎました。この試合は、鳥谷にも、濱
中にもファインプレーが出たのですが、打てない分、守り勝ったと
いう試合で、ここまで、試行錯誤を繰り返しながらも、勝ちを重ね
てきたタイガースの生命線が、実は守備力なんだなぁと実感した試
合でした。正直なところ、この試合は、展開的にはチャンスの連続
で、普通なら楽勝の試合だったように思うのですが、それが辛勝と
いうことで、まさに今年のタイガースらしいと言えばらしい試合で
した。

 中村泰の先発した試合の方は、結果的には1点差で負けてしまい、
痛い敗戦となってしまいました。中村泰もボール先行のピッチング
で、非常にイライラさせられたのですが、久しぶりに打線が反発力
を見せてくれたという意味では、試合としては非常に面白い試合で
した。この試合は、同点の7回にリリーフに出てきたダーウィンが誤
算でした。この回の先頭のラミレスこそセンターフライに討ち取り
ますが、岩村、ラロッカにヒットを打たれて一死1,2塁の場面から、
荒れ出します。とにかくストライクを取るのに汲々として宮出に2-3
から四球の満塁から田中浩には簡単に犠牲フライを打たれて勝ち越
し点を奪われ、さらに米野に四球を出すという、とにかく何とかし
てくれという内容。準備されたジェット風船がボールのコールの度
に空に舞うという、ダーウィンにとっては辛い登板になってしまい
ました。
 致命傷は、真中の打球をよくセカンドに回っていた関本が止めた
のですが、ボールが手につかず2点タイムリーになってしまったこと。
いまのタイガースにとっては非常に重い3点差になってしまいました。
ただ、これまでの打線の調子から考えると、これで終わりみたいな
雰囲気ではあったのですが、この日の試合は、珍しく、最後の最後
まで、試合の結果がわからないところまでスワローズを追い詰めま
した。
 このところのタイガース打線は、チャンスになると打者の肩に力
が入ってしまい、どうしても得点ができないというシーンがあまり
にも多く繰り返されていました。絶好球を見逃し、追い込まれては
厳しいボールに手を出して凡退。非常に悪い形がパターン化してし
まっていたのですが、この日の試合では、得点できない場面でも、
やや積極性が戻ってきたような感じを受けました。実際に点差が開
いても最後まで諦めずに追いすがってくれたという点では、今後に
大いに期待できるんじゃないかなということを感じさせてくれた試
合でしたね。

 さて、今年も残すところわずかになってきました。ドラゴンズも
なかなか負けないので、厳しい戦いが続くのですが、逆に楽しみで
もありますね。2003年は春先から文句なしの独走優勝でした。去年
は厳しい競り合いの中で交流戦明けからの逃げ切り勝ち。そして今
年は・・・3つ目のパターン逆転優勝を見せてくれるでしょうか。
 とにかく、ハラハラする毎日を楽しみたいと思います。

 りが・みりてぃあ野球殿堂 http://www2s.biglobe.ne.jp/~tiga

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★ お品書きその2 『プロ野球事件簿』 アトムフライヤー

 第6回 藤波行雄選手トレード拒否事件シリーズ 〜その2〜

 読者のみなさまこんばんは。前回は、藤波選手がクラウンライタ
ーへのトレード話を拒否した背景とそのアクションの顛末について
書きましたが、今回は、藤波選手側の事情ならびに、このトレード
拒否事件と、前シリーズの江川事件との比較をしてみたいと思いま
す。

 前回、地元後援会やファン、あるいはドラゴンズファン全体から、
この藤波選手トレード拒否事件に対して球団フロント側に抗議が殺
到したことは説明しましたが、はたしてこの騒ぎは、どうやって起
こったのでしょうか。そしてその大きくなった騒ぎに、はたして藤
波選手は関与していたのでしょうか。
 私が確認したところ、藤波選手から後援会に頼んだという事実の
証拠をつかむことはできませんでしたが、後援会の運動を止めよう
としたという証拠も確認していません。したがって、読者のみなさ
まに対しては奥歯にモノがはさまったような言い方で大変申し訳な
いのですが、どうも藤波選手自身からは、移籍を拒否して引退する
と言えば後援会が動く、と計算していた様子が私の目から見ると、
伺えるのです。また、このまま引退しても関係者のコネで、母校中
大の監督に就任可能と読んでいた面も伝えられています。どちらに
しろ、相当なしたたかさが私には感じられるのです。

 一方後援会は、「移籍をやめなければ中日新聞を買わないように
するぞ。」と中日新聞の不買運動をけしかけます。さらに、当時の
日刊ゲンダイや夕刊フジの記事を確認してみると、後援会は政治家
にまで手を回し、「新聞の不買運動を名古屋まで広げる。」と球団
を脅したとされています。またこの件については、地元の財界人に
も行き過ぎたトレードを快く思っていない人が多くいたため、効果
は絶大だったようです。
 そして、ついにこういった脅しに屈した中日ドラゴンズのフロン
トは、藤波選手と基選手のトレードをご破算にし、竹田和史投手と
松林省吾選手の1対1のトレードに切り替えました。その結果、選
手による移籍拒否によってトレードが不成立という前代未聞の事態
となってしまったのです。これは完全な中日ドラゴンズのフロント
側の敗北で、その不手際の結果、世間に恥をさらす形となって事件
は終わり、中日ドラゴンズ球団は、藤波選手に1977年のキャン
プの自費参加と背番号3の剥奪というきわめて軽い処分しか課しま
せんでした。

 さて、この事件は一般新聞においてはベタ記事扱いで、地元以外
ではほとんど知られていませんが、実は、2年後に起きる「江川事
件」以上にプロ野球の組織を破壊する重大な違法行為だと私は考え
ています。そこで、まずこの事件を「江川事件」と比べてみます。

 まず、世間一般で「江川事件」の問題点とされるのは、以下の数
々ではないでしょうか。

1.入団するにあたり、ルールを破って入団した。
2.ルール破りをリーグ脱退をちらつかせ、コミッショナーに認め
させた。
3.ルール破りの背景に政治家とのつながりが明らかだった。
4.小林投手を他球団に無理矢理トレードするという形で犠牲者を
出した。
5.引退後も事件の反省を述べずにテレビに出演している。

 一方、藤波選手のケースについて上記と同様に考えると、以下の
ような問題点が出てきます。

1.プロ入りのときに交わした契約条件を破って移籍拒否をした。
2.ルール破りの背景に後援会と政治家とのつながりが明らかだっ
た。
3.移籍予定の基選手の立場を悪化させた。
4.引退後も事件の反省を述べずにローカル放送でマスコミに登場
している。

 では、上記の藤波選手の事件の問題点について説明していきまし
ょう。
 まず1についてですが、選手の保有権は球団にあります。という
のも、日本プロフェッショナル野球機構統一契約書様式の第21条
【契約の譲渡】にて、

●第21条【契約の譲渡】

 選手は球団が選手契約による球団による権利譲渡のため、日本プ
ロフェッショナル野球協約に従い本契約を参稼期間中および契約保
留期間中、日本プロフェッショナル野球組織に属するいずれかの球
団へ譲渡できることを承諾する。

 と明記されておりますので、契約した以上、藤波選手はそれを承
知でプロ入りしたことになります。しかもこの当時は「10年選手
の権利」も「フリーエージェント」も認められていませんから、選
手自ら保有権の解除はできません。つまり、

“ひとつの球団から他球団への保有権の移転=トレード”

を拒否することはできないのです。

 これは戦後、南海ホークスから読売ジャイアンツに引き抜かれた
別所毅彦投手の騒動の例にもあるとおり(この事件については後日
取り上げます)、引き抜き合戦が横行すると、選手の年俸の無定見
な暴騰が発生し、球団の存続が危うくなるからです。これについて
は編集長のMBさんの過去の初期メジャーリーグについての連載、
あるいはニグロリーグの連載でも出てきますが、選手がカネを求め
て“ジャンプ(球団を渡り歩くこと)”を繰り返した結果、球団の
存続自体が危うくなった、という例は日本のみならずアメリカでも
あったことで、枚挙に暇がありません。したがってこの教訓から
1951年に統一契約書様式が発効となり、選手の保有権は契約し
た球団にアリ、ということになっていました。そしてこれ以後、ト
レードでの感情的なもつれこそいくつかありましたが、藤波選手の
事件に至るまで、移籍拒否は一切なかったのです。

 次回は、巨人で数々の“問題行動”を起こした選手たちの例を挙
げながら、実際に“藤波事件”とは何だったのかということを述べ、
このシリーズの総括としたいと思います。

(アトムフライヤー)

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★ お品書きその3 『ニグロリーグと愉快な仲間たち』 MB Da Kidd

 第8回 ストーヴィー引き抜き騒動

 読者のみなさまこんばんは。今回は前回の続きで、19世紀最高の
有色人種ピッチャー、ジョージ・ストーヴィーが頭角を顕した結果、
どのようなことが起こったかという話から入っていきましょう。

 前回、私はストーヴィーがイースタン・リーグのブリッジポート
というチーム相手に3-4と惜敗したものの、ボール数が5〜7と多い
ルール下で三振が取りにくい状況にあったにもかかわらず、11三振
を奪う好投を見せたことはお話しました。
 そして、これを知って動き出したのが、同じイースタン・リーグ
でもジャージー・シティに本拠地を置くスキーターズです。

 スキーターズは、1885年に創設されたばかりのチーム。というこ
とで、ピッチングスタッフの数が足りませんでした。
 そこで監督のパット・パワーズは、自分の故郷の街であるトレン
トンに戻ることにしたのです。目的は、ジョージ・ストーヴィーの
引き抜きでした。

 パワーズは友人に電報を打って段取りを伝えた上で、真夜中、ひ
そかにトレントンの街へと忍び込みました。ストーヴィーを叩き起
こしてムリヤリにでも契約書にサインさせ、翌朝のジャージーシテ
ィの試合に彼を先発させるためです。
 ところが首尾よくストーヴィーを叩き起こしてサインさせ、ひそ
かに彼を連れ出そうとしたところまではよかったのですが、これが
トレントンの人々に見つかったものだからさあ大変。彼らはストー
ヴィーを街から出すな、と言わんばかりに、警察へと駆け込み、誘
拐だ、と騒ぎ立てたのです。パワーズは真っ青になりました。
 そこでパワーズは、警察官に自分が善良ないちアメリカ国民であ
ることを説明し、了解を取り付け、人々の投石の嵐を浴びながら馬
車で駅までたどり着き、なんとかストーヴィーをジャージーシティ
行きの列車に乗せたのです。パワーズはストーヴィーに、支度金だ
と言って、20ドルを手渡しました。

 翌朝。パワーズは開店と同時にジャージーシティの紳士服の店に
行き、新しいスーツをストーヴィーに買い与え、試合時間まで睡眠
をとらせました。
 人々に驚きの瞬間をもたらすべく、準備したのです。

 試合時間。パワーズはストーヴィーを伴って現れました。しかし、
観客は彼をあざ笑いました。特に対戦相手のニューアークの野球フ
ァンは。というのも、白人のピッチャーのスタープレーヤーは数々
いましたが、有色人種のピッチャーのスタープレーヤーは、誰一人
として出現したことがなかったからです。
 しかし、そのざわめきを、ストーヴィーは一瞬で黙らせました。
先発したストーヴィーは1回表、ニューアークの打者を苦もなく三
者凡退に片付けたからです。そしてこの試合、ストーヴィーは1-0で
ニューアークを完封。一気に街のスターへとのし上がりました。

 ストーヴィーはジャージーシティのために勝ち続けました。1887
年版リーチズ・オフィシャル・ベースボール・ガイドによれば、勝
ち負けの記録こそ残っていないものの、ストーヴィーは1,059人の打
者と対戦して177本のヒットしか許さず、被打率はなんと.167。イー
スタン・リーグで2番目に勝利に貢献したピッチャーと評価されてい
ます。1886年に発行されたスポーティング・ニュースでは最初の記
事として取り上げられ、“チームがもっとうまく彼を助けられれば、
さらにいい活躍をするだろう。ファーストへのベースカヴァーの入
り方がすばらしい”と絶賛されます。
 そこでその年の瀬に、パワーズは、ストーヴィーを売り込むため
に、ニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイア
ンツ、ナショナル・リーグ)と交渉します。するとパワーズの売込
みがよかったのか、ジャイアンツはストーヴィーをジャージーシテ
ィから“買い上げる”ことで合意し、ストーヴィーを同じイースタ
ン・リーグのニューアークに移籍させた上で、シカゴにて行われる
4試合ピッチングを見てからメジャーに引き揚げる、ということに
なりました。

 ところが、これが実現されることはありませんでした。というの
も、私がこの連載の第1回で紹介したとおり、キャップ・アンソン
率いるシカゴ・ホワイトストッキングスが、ストーヴィーを先発に
立てることがわかると、その対戦の拒否を通告してきたからです。
 19世紀最大の有色人種ピッチャー、ジョージ・ストーヴィーが全
米で日の目を見ることはなかったのです。そしてストーヴィーの名
前は、サイ・ヤング、あるいはウォルター・ジョンソンと並び称さ
れることはなかったのでした。

 そしてストーヴィーは、その鬱憤をイースタン・リーグで晴らす
こととなりました。33勝14敗、外野手としても54試合に出場し、打
率.255を叩き出す活躍を見せ、ニューアークがイースタン・リーグ
で4位になる原動力となったのです。しかし、キャップ・アンソンの
なしたいたずらはあまりにも大きく、この偉大なピッチャーの名前
は、いまでも知られずにいるのです。私はそのことを、非常にもっ
たいないと感じています。

 次回はキャップ・アンソンがカラーラインを引いた当時、有望株
だった有色人種の選手にはどういう人たちがいたかを振り返ってい
きます。

(MB Da Kidd)

【参考文献・web】

・Out of the Shadows 
-African American Baseball from the Cuban Giants to Jackie Robinson-
Edited and with an introduction by Bill Kirwin, 2005, Bison Books

・Only The Ball Was White 
-A History of Legendary Black Players and All Black Professional Teams- 
Writtten by Robert Peterson, 1970, Oxford Paperbacks, Oxford Press

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(c)2002 ぼーる通信 
〜Voice From The Dreamfield〜 編集部

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