2008.04.30
STREET JOURNAL
☆★☆ STREET JOURNAL ☆★☆
2008/4/30
====[今日のメニュー]========================
■美味にまつわるエトセトラ:Thirsty Soul 〜 奇食珍食
■美味しい街パトロール:長野で出会った「星野監督」と「ステビ」
■シアターコラム「つぐない」/大人になると分かる人生の醍醐味
■私的日記: 簡潔に
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■美味にまつわるエトセトラ:Thirsty Soul 〜 奇食珍食
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連休が始まりました。。。
毎年思うのだが、果たしてこのゴールデンウィークというやつ、確かに休みは取れるが、どこに行っ
ても混んでるし交通機関の料金は高くなるし、個人的な生活面ではデメリットのほうが多いのではな
かろうか?子供の頃は学校が休みでよかったけれども、社会人になって飲み屋なんてやっていると、
それこそゴールデンウィークを憂う人間ばかりを相手にしている気がする。
でもまあ、日本の季節感のひとつでもあるかな?笑
さて、春だ。
例年、筍の話題などでいっているが、今年は避けたい!季節感のマンネリズムを打破するのである
!てな訳で今回は表題のとおり、奇食珍食をテーマに行ってみようと思う。私も結構食道楽をしたので
、そんなところを思い出しながら・・・
先日、まあ割りと豪華に中華料理をいただく機会があった。油の苦手な私は、それこそ学生時代から
お世話になっている早稲田の某中華屋と、高田馬場の某年中無休24時間営業阿鼻叫喚地獄絵図的
な中華食堂以外は足を運ぶことが少ない。それでもまあ、誘われたからには仕方がないということで行
ってまいりました。
中華は食材が様々だけれども、なかでもやはり高級食材の代名詞といわれ、中華の珍味とされるの
が「フカヒレ」。
これは鮫のヒレですね、はい。それを乾燥させて、煮たり蒸したりして食すわけです。今回もそのフカ
ヒレの姿煮をいただきましたが。私の舌が貧しいのか知らないが、いったい何の味なのであろうなあ。
。。街場のイタリアンならコース料理が食べられるほどの料金であるが、さほどの魅力を感じない。村
上龍氏の小説にあったが、「内部に乾燥した海を閉じ込めてある」とは思うが、確かに氏も、「おいしい
」とは書いていなかったなあ。
珍味とは、感覚を食べることなのかな?そのあたり、キャビアに似ている。キャビアの場合は、「生殖
のラインを断った味」というわけだ。
お客様からの頂き物で、最近ではお店でナマコの酢の物を出している。ナマコは「海鼠」と書きますね
。まあ、鼠に見えないこともないかな(笑)。
これも相当に不可思議な食材だと思う。見る限り、「ワタクシは食べられませんよ、うひっ」という自己主
張をひしひしと感じる。普通は、なんていう言い方はすこぶる嫌いだが、それでも普通、食べるとは思わな
いでしょう。
中華では海鼠は乾燥させて出汁に使う。かつての日本の輸出食材のひとつで、干し海鼠は通貨の代
わりにもなったとか。しかし日本では生で食べる。塩で〆て酢醤油などでコリコリと頂く。確かにうまい。
極めつけは内臓をも食すことである。海鼠の内臓の塩辛を「コノワタ」というのだが、確かにこれもうまい
、日本酒の肴には絶品である。
何事も見かけで判断することは良くない。見かけは悪くても、実は万能の美味であったりする。珍味の
美味とは、食への探究心の輝かしい成功であるといえる。
実家のほうから土筆を送ってもらった。あ、「ツクシ」と読みます、スギナの子(笑)
実は東京でも、はえている。線路際の土手などに、にょきにょきと生えているが、さすがに排気ガスや
らなにやらにまみれていそうで、とてもじゃないが食べる気にはならない。田舎の土手の、犬や猫の散
歩道に生えているほうが、はるかにおいしそうである。
これも相当に変わった食材ではなかろうか?土筆も育ってくると、それは生命の根幹であるから、そ
の営みとして毒々しい緑色の胞子を大量に放つ。土筆を摘みに行くと、その胞子で指や服が緑に色づ
くこともあった。そのぶよぶよしたところを、食べるのでありますよ。佃煮にしたり天麩羅にしたり。春の
ホンのひと時だけの楽しみではあるが、毎年春のこの時期には、ご飯のおかずにしたものだ。
西洋料理に土筆は見たことがないが、食べないだろうなあ。。。
食には地方性があるのが当たり前で、この狭い日本でも、北には北の味があり、南には南の味があ
る。なにやら巷では沖縄料理が静かなブームだとか言うが、北海道料理ってのは聞いたことがないな
あ。ウニやらカニやら、食材という意味では物産展も開かれるほどの北海道であるが、料理そのもので
はせいぜいが石狩鍋が有名なくらい。
その北海道では、トドを食べるというが、果たしてその真相やいかに!?
大学の頃、お土産でトドの缶詰をもらったことがあるのだが、缶詰は缶詰の味しかしない。
しかし、缶詰があるなら生もあるはずではないか!?イルカは東京でもたまに出回っている。しかしト
ドはお目にかかったことがないなあ、いったいどんな味がすることやら。北海道に友人がいるうちに遊び
に行かねばといつも思っているのだが、なかなか腰の重いワタクシである。
思えば、食道楽の私は、小さい頃から食べ物には好奇心旺盛であった。好きか嫌いかは別にして、蛇
(巳年ですから)と狐(お稲荷さんを信奉してますので)以外は、必ず知らないものなら食べるようになって
いる。
いろいろあったなあ。蜂の子、イナゴ、クサヤの干物、ザリガニや沢蟹も食べた。白魚の踊り食いもして
みたし、生きた海老をじわじわと茹でていった事もある。河豚のキモとかは遠慮したいけど、ハリセンボン
のキモなら食べました。ゲテモノと呼ばれても、あきれるほどの高級食材でも、食に貴賤はないと思って。
それでも、食をもて遊ぶことのないように心がけたつもり。北京ダックは皮をおいしく食べるけど、ちゃん
と肉の部分も料理するでしょう?フォアグラだって、ちゃんとフォアグラをとった後の肉はそれ相応の食材
として出回るのだから。最近ではチョウザメも、キャビアを取ったらおなかを縫い合わせて再び放流するら
しい。残酷な食べ方、人間の傲慢と思えても、そこには感謝と愛がなくてはならないのです。
いつからか、食べ物を残すことが嫌いになった。捨てられる食材が、なにも生命を完遂しないまま終わ
ると思うと、たまらなくむなしい。だから、世に言う大食い選手権とか、それをネタにした番組などには吐
き気を覚える。食で遊ぶことは構わないのだが、それを商売にしようというその心根に、心底あきれるのだ。
食べられないほど辛いものとか、苦いものとか、作ってはならないのですよ。
食べきれないほどの量を盛って、そこで商売をしてはならないのですよ。
食の珍奇は問わずとも、意味のない食べ物に捧げられた生命に、尊厳がなくなるではないか、と思うの
だが、みなさまいかがかしら?
さてさて、話が堅くなりましたね(笑)
まあ今月はそんなところで。ああでも、長くなるからと思って書かなかったけど、いろいろまだまだネタが
あったのだがな。来月もこれにしようかな。もうちょいと季節感を盛り込んで。鮎のウルカの話でも書こうか
しらん。
それではまた、来月に・・・
RYO.S/小料理&Bar「菊水」マスター
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■美味しい街パトロール:長野で出会った「星野監督」と「ステビ」
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4月26日に長野で行なわれた北京オリンピックの聖火リレー。
私は聖火リレーには関係ない仕事で、前日の夕方に長野に入らなければ
ならなかったのだが、東京駅に着いて新幹線に乗ろうとすると指定席が全部うまっていた。
仕方がないので、グリーン券を購入し着席していると、回りの人より一回りでかい
体の人が乗車してくる。なんと、日本代表監督の星野さんである!
しかも、私の並びの席に着席……。思わぬ遭遇に一瞬驚いたが、
翌日の聖火リレーの第一走者として、長野入りするところだと理解した私は
すぐに平静を装った。しかし、あまりにも普通に横で(正確には座席2つ向こう、
でも間には誰も座っていない)星野監督がくつろいでいるので、しばらく気になって
仕方がなかった。何度も、声をかけて挨拶しようかとも思ったが、星野さんに
とってはプライベートな空間。じっと観察したくなる衝動を抑えて、長野駅までの
1時間半を星野監督と同じ車中で過ごした。
時折り星野監督を横目でみやると、スポーツ新聞や雑誌を読んだり、眠ったりしていたが
時折、両手を組んで手首をぐるぐるやっていた。やはり野球選手、特に投手(だった人)
は手首のストレッチを常にやるクセがあるんだなと感心したりしているうちに、長野駅に着いた。
そんなラッキーなことがあった夜、長野の知人と晩御飯を一緒に食べた。
そこで、サバの話題になったのだが、おもしろい話が聞けた。
長野の人は、光り物をあまり好まないのだそうだ。寿司やでサバやコハダを注文する人は
ほとんどいないという。でも、サバカンの消費量は全国ナンバー1なのである。長野県で
「サバの水煮缶詰」を置いていないスーパーはないぐらいだとその知人は言い切った。
では、どのようにして食すのか?
キャベツの千切り、または万能ねぎの小口切りたっぷりの上に、サバカンの中身をどかっとあける。
軽くほぐして好みでしょうゆ、鰹節などをかけ、食べるだけ。
また、まさにこれからの時期はタケノコを煮るときに、一緒に入れる。
ウド汁を作るときも、サバカンを入れて食べるのが長野のスタンダード。
つまり、海に面していない長野では、傷みやすいサバを生で食べるのは、避けてきたというわけだ。
私もサバを食べ過ぎてお腹を壊した経験があるので、賢明というか、当然そのような食文化になる
ことは理解できる。
しかし、信州には「スビテ」というサバの名物がある。聞きなれない名前かもしれないが
いわゆる「〆サバ」のこと。「酢浸し」がその名の由来らしいのだが、海の魚であるサバが信州、
特に遠山郷(飯田市)の名物なのはなぜか?
その答えは、秋葉街道の歴史にあるということを知人が教えてくれた。
南アルプスの玄関口である遠山谷の冠婚葬祭には、このステビはなくてはならない料理で、
葬式のときには「精進落とし」として、尾と頭を落としたスビテが宴席に並ぶそうだ。
またお盆の晩には、「塩気の魚を食べないと、ほとけに口をねぶられる」といって、
スビテを食べる習慣があるという。サバの生臭さが、死霊をはらうと信じられているとのこと。
一方、結婚式などの祝い事にも、必ずスビテがふるまわれるというから面白い。
不祝儀のスビテは尾と頭を落とす決まりだが、祝儀の席のスビテは、鯛の代わりの「尾頭付き」。
今でも、村の祭りや宴会にスビテは欠かすことができないというから、なんとかしてそのステビを
食べてみたいと思った。
普通の〆サバと信州のスビテの違いは、生サバを使うか、塩サバを使うかの違いだ。
信州のスビテで育った人たちに言わせると、東京の〆サバは 「なんだか味が物足りない」
とのこと。かつての遠山谷では、海の生魚を食べることができないため、塩サバ、塩サンマ、
塩イカなどが飯田を経由してトラックで運ばれてきた。さらに昔は、馬によって峠を越えて
運ばれてきたわけだから、魚をいかに長持ちさせておいしく食べるか。スビテの塩と酢は、
その工夫の結果というわけだ。
秋葉街道は、遠州から遠山を越えて諏訪にのび、岡谷からは千国街道となって、新潟県糸魚川市
まで続いている。この道は海と山、太平洋と日本海を結ぶ日本最大の塩の道。
そんなことを話しているうちに、ふと思いは北京オリンピックの聖火リレーに及んだ。
今年の夏のオリンピック開催まで続く聖火の道は、無事にスタジアムまでつながればいいのだが……。
ライター/長友慎治
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■シアターコラム「つぐない」/大人になると分かる人生の醍醐味
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小さいときには理解できなかったのに、成長して経験が増えるにしたがって
「あぁ、そういうことだったのか」と納得できる瞬間がないだろうか。
たとえば、両親の交わしていた会話の内容や、大人がせっかくの日曜日に「今日は寝て
いたい」と嘆く意味。恋愛ドラマなどで「好きだけど別れなきゃ」と泣く恋人たちのシ
ーンや、ギャンブルに巨額の金をつぎ込む人々。酒やタバコの味もその分類に入るかも
しれない。
「昔は理解できなかったことも、年を経れば理解ができる」というのは、まだ経験の浅
い若い人にとっての人生の醍醐味のひとつだ。かつての自分の行為を今思い返してみる
と、実は目を覆いたくなるような恥ずかしいものだったり、なかには非常に残酷だった
りもすることもあるだろう。
今回紹介する映画は、まだ幼い少女が犯した些細な嘘が、大事を引き起こしてしまう
というもの。物語の登場人物は医者への夢を抱いた前途洋々の青年と、金持ちの家に生
まれた美しい女性。青年が女性に恋を打ち明け、その恋が成就した夜に事件は起こる。
女性の妹が、偶然にも青年と女性の密会現場を目撃してしまう。生まれて初めて目にす
る男女の秘め事を見て動揺した少女は、青年を「女を襲う色魔」と勘違いしてしまうの
だ。そして、その直後に起こった女性暴行事件の犯人を「彼だ」と思い込みから証言し
、青年を刑務所に送り込む。まだ年端のいかない少女の目がとらえる「世界」と実際の
現実との差異が生み出す悲劇だ。だが、事件当時はまだ10代前半だった少女も、次第に
年を経るごとに社会のあり方を学び、自分の証言が大きな間違いを引き起こしたことを
理解する。だが時はすでに遅し。青年は刑務所を出て兵士になり遠い外国で、そして女
性も戦争の被害者となって20代の若さで死亡していた。そして成長した妹は作家として
デビュー。老婆となった彼女は2人の幸せな日々の物語を書くことで、彼女なりの「贖
罪」を行う。それが彼女の遺作となり、以降彼女は筆を折ることで物語は幕を閉じるの
だ。
タイトルどおり、映画のテーマは彼女の生涯をかけた「償い」にあるのだが、それよ
りも、少女が徐々に自分の過去におかした罪を理解し、それに対してベストな「つぐな
い」の仕方を考えるところが興味深い。なぜなら私は自分の人生を振り返ってみても、
そこまで突き詰めて考えてきた罪が見当たらないからだ。それは一生をかけて償わなけ
ればならないと責任を感じるほど重い罪を犯してこなかったのか、それともただ、過去
に犯した自分の罪を理解できるほど、成熟していないだけなのか。後者の場合、これか
ら先、人生で今後様々な経験を積むのがやや怖いような気もする。
ライター/風味絶佳
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私的日記: 簡潔に
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いやいやいやいや
今月も相変わらずぎりぎりですなあ。。。
まあねえ、連休だしのんびりするのもよかばいよかばい。
さて、あいかわらずなんのとりとめもない話ですが、先日藤の花を見に行きました。
藤の花は良いですね。紫色に輝くあの花は、なんともいえず情緒があってよろしい。子供のころに
はそんな風に感じなかったのだけれども、藤棚というやつは本当によくできたものだ。季節感を感じ
る木陰というのがたまらなくよろしい。花が咲き終わると、ちゃんと実がなったりしてね。
あれって食べられるのかなあ。。。今度食べてみよう!
とまあそういうわけで、また来月〜。。。
トド・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (白)
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