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白保メール


2006.05.10

白保メール No.79 白保魚湧く海保全協議会のこと(その1)


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                             //転載歓迎//


 <白保魚湧く海保全協議会のこと>(その1) 
              小林 孝  農民、白保魚湧く海保全協議会副会長

 白保の集落で、新しい、建設的な動きが始まりました。白保の海がこれからも豊か
で、そして住民みんなの大切な海であり続けるように、と願う組織が立ち上がったの
です。今回はそれを紹介しましょう。

[「魚湧く海」は昔のことか]

 白保の、先の大戦を経験したご老人たちのお話を伺うと、彼らが子供の頃の白保の
海が、それはそれは恵み豊かなところであったことが伝わってきます。あまりに話が
壮大なので、にわかには信じられないようなレベルです。それでも、誰も彼も、男性
も女性もが同じように語りますし、戦後の世代の人々も、レベルこそ違えど、昔の海
の豊かさを経験談でもって話してくれます。
 中でも、私が一番気に入っている話は、ある老婦人からうかがった次のようなもの
です。彼女が子供の頃、夜になると松明を持った父親と波打ち際を歩いて漁をしたも
のでした。イセエビの時期の漁では、彼女が背負った背負子は、父親が採り続けるイ
セエビでどんどん重くなってゆきます。その重さを嫌った彼女は、父親には気付かれ
ないように、折角採った獲物が背負子から逃げ出すままにして、重量増加を防いだ、
というものです。その思い出を彼女は懐かしそうに、いとおしそうに話してくれたの
です。なんとまぁ、贅沢な経験だろうと、随分鮮烈な思いがしたものでした。
 それらが話半分だとしても、近年まで、間違いなく豊かな海であったことが、私に
は信じられました。その豊かさが故に、宮古地方のウミンチュ(漁師)がかつて、家
族と共に白保に移り住んだほどです。その白保にやってきたウミンチュの一人(もう
故人になりました)が、ここの海を「魚湧く海」と称したのでした。
 また、この海の恵みが、当時の金銭的には貧しかった人々の生活や子供の成育を支
えたという逸話は、少なくありません。
 だからこそ、白保の人々にとって、東の海(地元の人々は白保の集落の東に広がる
海をこう呼びます)は、大切な海であり、誇りなのです。

 しかし、その海の豊かさも、今では多少元気がなくなってきているようです。実際
に、私がこの海と出会ってから早くも十数年が経ちましたが、出会った頃のあの豊か
さが凝縮された印象(その時点でも、白保の人々には既に、昔の豊かさを失った海に
なっていました)は、現実的に弱まってきていると感じます。ですから、白保の人々
の口からは、「昔は何でも食べきれないほど採れた」というように、表現が過去形に
なっています。
 とはいえ、それでも、白保の人々にとっての東の海は、大切な海であり、誇りです。
だから、その大切で誇り高い海の今の豊かさがこれからも続くだけではなく、以前の
ような豊穣を取り戻したいという願いが、白保住民に共通していることは間違いあり
ません。しかし、世の中(島の中)の変化があまりにも勢いづいている今、人々の心
の中で、それは何とはなく非現実的な理想論になってしまっているのかもしれません。
皆の「白保の海がいつまでもこうあって欲しい」という意識が、近年では「魚湧く海」
といった慣用句の中に、風化されて残っているだけなのではないかという印象が、か
すかにしてしまうのです。
 それではまずい、この海の豊かさは、今でも間違いなく白保の誇りなのだから、そ
のありさまを現実のものとして改めて認識して貰いたい、「昔は・・・」という昔語
りの、他人事のようなことで終わって欲しくはない、と思っていました。
 何しろ、白保集落の船着場の周辺が豊穣なモズクの漁場であった(今はこの海域か
らモズクは消滅した模様)のは、たかだか十数年前のことなのですから。取り返しが
つかない、遠い過去のことではないと信じているのです。

[東の海は住民みんなの宝物]

 その白保の東の海は、白保住民みんなの財産です。いまでも集落のご婦人たちは、
アーサやオゴ、スーナなどの海藻・海草を採るといった波打ち際の海の利用を、とて
も楽しそうにしているし、潮がよく引いた時は、大勢の人々がワタンジやピー(サン
ゴ礁が作った海中の廊下のようなもので、干潮時には干出する)まで行っては、何や
ら獲物を採って遊ぶという昔ながらの光景が展開しています。
 しかし一方で、いつの間にか、海はウミンチュが優先的に利用する場所だという傾
向、意識が強まり、定着しているかのようです。最近では、観光ブームの興隆と共に
増えた集落内の民宿による、観光客をサンゴの海まで連れてゆく観察ツアーといった
形態の海の利用が激増し、またウミンチュも民宿と協力し、あるいは独自に、そうい
ったツアーを始めています。沖縄離島ブームによって増加した観光客相手のその手の
営業活動が、収入を得る手段として注目され、参入者が増えているわけですが、その
変化の様子が集落の他の人々には目に余る状況になっているのです。つまり、白保住
民みんなの共有財産である東の海を、特定の業種の人々が突出して大いに利用してい
る、と映ります。住民の皆さんにとって心穏やかではいられません。私自身もそう感
じています。明らかにサンゴの海の、いわゆる観光による過剰利用=オーバーユース
になっているからです。

 決して好ましくはありません。軌道修正をすべきです。しかし、小さな集落の共同
体生活の中で、そうした働きかけをすることは、相当な勇気が必要です。この島の人
々が嫌悪する「争いごと」を招くことになるからです。結局人々は、わだかまりを抱
えながらも遠巻きに見ている、あるいは半ば諦めている、といった状況でした。
 そうした状況を軌道修正しなければならない、と書きました。どこに向かっての修
正であるべきか、ですが、次のように考えます。

(1) 住民と海との密接な関係を取り戻し、白保の文化を昔語りの中に埋没させる流れ
を遮断すること。
(2) 東の海の生産性の高さを少しでも取り戻しながら、住民皆が海への感謝と誇りを
再び鮮明なものにすること。
(3) 白保集落以外の島民や県外からの来訪者、八重山支援者に対し、白保は住民が自
力で海の保全に努めていることを示し、そうしたケースのひとつのモデルを完成させ
ること。
(4) そのためには、住民が主役の集まりを作り、自主努力のための規則を自分達が作
り、それを住民全員が守るという空気を作る。

 概念を述べれば、このようになるでしょう。では、それを現実のものにするために
はどうしたらよいのでしょう? きっかけは以下のように訪れました。
                              (次号につづく)


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# 白保のサンゴ礁の海については、国士舘大学の長谷川先生が、白保メールNo.16
にとても分りやすい解説を書いてくださっています。併せてお読みください。

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白保メール NO.79  06.5.10
発行者   鷲尾雅久 谷崎樹生 小林 孝
      shiraho@estate.ocn.ne.jp


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