2007.09.03
白保メール No.93 白保村に暮らして(その1)
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//転載歓迎//
<白保村に暮らして 〜村づくりと風景づくりの今後〜(その1)>
柳田 千晶
白保メールですので、白保の住民として白保のことについて書きたいと思います。
そして、今年6月に施行された石垣市の風景づくり条例のガイドライン作りに関わっ
た関係から、今とこれからの白保での風景づくりについても最後に触れたいと思いま
す。
住民といっても私は、白保にお墓があるわけではなく、2000年の秋、ちょうど白保
村が新空港のカラ岳陸上案の受け入れを決議した年に石垣島に移住し、翌年春から白
保村の住民となりました。ですから、それ以前の、空港問題で対立していた頃の白保
のことは、書物で読んだり、人から話を聞いたりするのみで、リアルタイムでの関わ
りはありません。ただ、引っ越した当時の白保は、まるで誰もが物申すまいとしてい
るかのように感じるほど、表面上は静かな村であったように記憶しています。今、思
い返してみると、それは、「空港建設を受け入れたのだから、しばらくはそっとして
おいて」という静かな意思表示だったのか、と思えるほどです。しかしそうとは知ら
ない私は、「海があって、緑があって、人々の静かな営みがあって。ここに住まわせ
てもらっているだけでシアワセ!」と単純に感じていた、無知で調子のいい移住者だ
ったと思います。
ところが、その海が危機的状況にあり、緑は削り取られるためにあり、静けさの裏
に人々の苦渋があることに気づくのに、そう時間はかかりませんでした。白保のサン
ゴは、轟川沿いの田畑から流れ出る赤土などが原因で、2000年以降急激に減少してい
ることが報告されていましたし、保育園の送り迎えで通る県道沿いの緑は、日に日に
削り取られ、新しい建物が建っていきます。新聞紙上を賑わす、“新空港建設こそが
夢の実現”“いよいよ着工!”という浮き足立った記事とは裏腹に、ご近所では誰も、
諸手を上げて喜んでいるふうには見えません。そんな現実に、白保に住むということ
は、実のところ自然破壊を目近に見続けていくことなのか、というある種の絶望感に
襲われたり、空港問題で翻弄され続けた村の傷跡の深さを垣間見て、畏れおののき、
途方に暮れたりもしました。
しかし、それでもなお、この島の海はすばらしく、緑は深く潤い、人々は対立を乗
り越えて村の神事・祭事を受け継ぎ、伝統芸能に興じ、自然に根ざした暮らしを営ん
でいて、そのことは感動的ですらありました。それはここ、白保に暮らし、婦人会な
ど地域活動に関わって初めて見えてきたことです。移住者には“静けさ”をまとって
いるように見えた白保村でしたが、地域に関わっていくにつれ、“村の息吹”を感じ
られるようになり、逆に自分が元気づけられ、勇気づけられる、というこれまでにな
い体験もさせてもらいました。こうした中から心に沸々と湧いてくるのは、自然、芸
能、人々のおおらかさを含めたこの村の在り様そのものが、できればこのままの姿で
あり続けてほしい、という願いでした。
2007年2月、白保村ではこれからの村づくりの指針を示す、“白保ゆらてぃく憲章”
が制定されました。この憲章づくりが始まったのは《ゆらてぃく白保村体験2004》
という、離島・過疎地域ふるさとづくり支援事業の導入がきっかけとなっています。
このとき、運営委員会の中に「地域の状況を調査し、課題を整理して、白保の望まし
い将来像をとりまとめる」という趣旨で次世代プラン班が設置され、私もメンバーに
入れていただいたのです。これを機に、私は“白保の村づくり”に関わらせていただ
くようになります。まずは、村人全員にアンケートをとったり、古老や子供たちに白
保のことを聞いて絵地図を作ったりして、白保を見つめなおす作業から始め、最終的
には、この事業の総仕上げとしての“ゆらてぃく祭り”で、憲章の元となる村づくり
の基本方針を発表することにしました。(このとき作った絵地図は、白保小のバス停
前、郵便局前、船着場入り口に設置されていますので、白保においでの際はぜひご覧
ください。)
さらに、一年を通して村づくりに関わるテーマ別座談会を定期的に開き、広く意見
の聴取を行いました。このように書くと、着々と憲章が出来上がっていったかのよう
ですが、実際はそうではありませんでした。座談会への呼びかけに応じて会場に足を
運んでくれる人は大抵はわずか数名。主催する側としては心細い限りでした。奇しく
も、白保メール主宰の小林氏が、2005年12月発行の白保メールNo.73に“白保の現状”
としてこう書いています。『住民の多くは、「もう公民館決議で新空港受け入れは決
定した。あとは受け入れの条件として掲げた19項目の要望が、一つでも多く実現す
ることを望むばかり。不要ないざこざは真っ平御免」という諦観の境地にあるかのよ
うです。』まさにそのような淀んだ空気が確かに白保を覆っているようでした。それ
でも、参加されたみなさんは自分の思いを熱心に話され、様々な提案やアイデアが出
てきたことは救いであり、諦めずに座談会を開き続けた次世代プラン班の先輩や仲間
の存在は大きな励みでした。こうして、細い糸を手繰り寄せながら取りまとめた村づ
くりの基本方針が“第1回白保ゆらてぃく祭”で発表されました。
支援事業は年度末で終了しましたが、そのあとも次世代プラン班は独自に活動を続
け、アンケートや座談会で出された意見をもとに具体的な施策まで盛り込んだ“白保
ゆらてぃく憲章”案を作成。2006年度の公民館総会で承認されたのを受け、“第2回
白保ゆらてぃく祭”で記者発表されました。ここで次世代プラン班は解散すると同時
に、新たに憲章推進委員会が発足しました。その名の通り委員は、憲章が絵に描いた
餅にならないよう施策を実践・推進する役目を負っています。と、書くと、ここでも
またいかにもスイスイと事が運んだかのようですが、2004年から始まって丸々3年の
歳月が流れているわけですから、本当に「やっとこさ」という思いです。時には、憲
章を作っていることがなかなか住民に浸透せずに苛立ちを覚えたり、このままでは島
ごと開発の波にさらわれてしまうかもしれないという危機感を、まわりの人とうまく
共有できず、しんどい思いをしたこともありました。また、この村の姿がこのままで
あってほしいという願いは、調子のいい移住者の傲慢なのかと悩むこともありました。
それでも村として憲章制定に漕ぎつけたのは、“ゆらてぃく祭り”や“座談会”など
で、白保に住む人たちのあいだで「いろいろあったけど、やっぱり白保が好き」とい
う思いを確かめ合う機会が多少なりとも増え、白保村を包んでいた諦めの空気が時を
経て前向きに転じたこと、そしてもともとある白保の地域力によって、ようやく機が
熟したからだと言えると思います。
それが証拠に、憲章推進委員会が事務局となって今年度開級している石垣市教育委
員会主催の成人学級“白保学講座”には、白保の住民40名以上の受講があり、熱心
に耳を傾ける老若男女の姿が見られます。これまで5回行われた講座では、村内の史
跡めぐりをして古老に話をうかがったり、白保海域が海中公園になったことを受けて、
身近な海を知るために環境省の方やWWFジャパンしらほサンゴ村のスタッフから話
をうかがったり、次回は、白保のアオサンゴを広く世界に知らしめた南山大学の目崎
茂和氏に、“白保の風水”についてお話をうかがいます。そのあとは、石垣市市史編
纂室の得能壽美氏による“古文書に見る白保村”の講義へと続きます。
(以下次号)
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# 島の古い集落に住む方々は、その地域を様々な思いを込めて、村と呼びます。
今号と次号の2回にわたり、本土から白保村に移住した柳田千晶さんに、白保村
での生活、地域づくり、風景づくりについて書いていただきました。
“白保ゆらてぃく憲章”は、スペースの関係で、次号に掲載します。
♪ 『白保メール』ホームページ
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しています。
配信中止は、http://www.mag2.com/m/0000141189.htm でお願いします。
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白保メール NO.93 07.9.3
発行者 鷲尾雅久 谷崎樹生 小林 孝
shiraho@estate.ocn.ne.jp
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