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目からウロコの仏教入門


2008.06.22

目からウロコの仏教入門 ── 「ダメだこの人」の心理 ──


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── 「ダメだこの人」の心理 ──

今回は、最近、何となく感じていることをお話してみたいと思います。

何となく感じているだけであり、理論化できているわけではありません。

仏教の概念を使うと、どう説明できるのかということも、ピンと来ておりません。

ただ、思いつくままに、お話してみたいと思います。

最近になって、特に感じて来たことなのですが、
人は、人に対し、完全性を要求するようになって来たのではないかという事です。

みなさん、自分自身のことを、完璧であると思ってらっしゃいますか。
思ってらっしゃる方は、ほとんどいないのではないかと思います。

ほとんどの人は、常に自分の未熟さに煩悶し、それでも、日々、努力し、
少しでも成長しようとしているのではないでしょうか。

にも関わらず、人は、他人に対しては完全性を要求する。
何となく私には、そう見えております。

例えば、恋人や夫婦ですね。

相手に要求する水準が極めて高く、
相手がその水準に達しないと思うや否や、

「ダメだこの人」と、切り捨ててしまう。

離婚率上昇しているのは、この辺にあるのではないかと思います。

「ダメだこの人」と思う心は、恋人、夫婦に限らず、
多くの人に向けられるようです。

たとえば、ある番組のキャスターが、自分とは違う考え方を述べる。
すると、「ダメだこの人」と、もう、その番組を観ようとしなくなる。

その人の、ある事例に対する考え方が、自分と合わなかっただけなのです。
にも関わらず、そのちょっとした考え方の違いを、
「全体」と拡大解釈し、相手を切り捨てるわけです。

たとえば、あるスーパーで買い物をしていた。
どうしても、探せない物があったので、ある店員をつかまえて、質問した。
その店員は、憮然と売り場まで歩き、さらっと棚を見渡して、
「ありませんね」と答えた。

それでは仕方ないとあきらめ、買い物を続けていると、
別の棚で、その商品を発見した。

そこで、こう思った。

「ダメだ。このスーパー」

これって、拡大評価ではありませんか。

確かに、店員教育が行き届いていないと言えば、その通りかも知れません。
でも、その店員は新人かも知れない。
物凄い、忙しかったかも知れない。
とてつもなく嫌なことがあったのかも知れない。
単に、売り場のど忘れかも知れない。

にも関わらず、「ダメだ。このスーパー」と結論を出すのは、
ちょっと行き過ぎではないでしょうか。

読書でもそうでしょう。

最初は、面白いと思って、その本を読んでいたが、
ある箇所で、自分とは考え方が違う部分が出て来た。
それだけで、「ダメだこの人」と、
著者の価値観のすべてを否定し、その本を閉じてしまう。

韓国の李明博大統領は、就任直後は支持率が80%もあったのに、
三ケ月後には20%台まで落ちました。

原因は、米国産牛肉の輸入再開を巡る混乱ですよ。
他にも原因は無いとは言いませんが、まだ就任三ケ月ですよ。
原因は、この牛肉輸入問題の一点だと言って良いでしょう。

これは韓国の話ですけど、日本も、だんだんと、
この極端な気質に近づいているように思えるのです。

一見、非の打ち所のない美女なんだけど、
出ベソだとわかったら、いっきに気持ちが冷めた。
そんな感覚です。

何度も言いますが、では、自分がそんなに完璧かと言うと、そうじゃないわけです。
でも、相手にはなぜか完璧を要求する。

何となく、変だなあ。
妙だなあと感じるのです。

人間関係のコミュニケーションが希薄になったと言われますね。
その背景には、この気質もあるんじゃないかと思います。

交流していても、何かの時に、「ダメだこの人」と思って、切り捨てる。

自分がちょっとでも否定されたら、
すぐにその人との関係性を絶つ、という傾向もありますね。

自分がふと口にしたことに対し、

「おまえ、何だ今の言い方は」と注意されると、
もう、その人と付き合いたくなくなる。

これって、何なんでしょうかね。

誰でも、自分が完璧だなんて、思ってないでしょう。
だったら、間違った言動をすることもあるでしょう。
だから、言葉使いが注意されることがあっても、当然でしょう。
にも関わらず、実際に注意されると、腹を立て、その人との関係すら絶つ。

もしかしたら、意見の違いが許せないのかも知れませんね。

自分と交流する人間は、自分と100%同じ意見じゃないと、許せない。
自分に注意するということは、考え方に合わない部分があるということ。
だったら、100%じゃないので、付き合えない。

そういうことかも知れません。

ネットでも、最近、同じ傾向を感じるようになりましたね。
ネットは社会の生き写しですから、当然ですが。

自分がその人に、ちょっとでも批判めいたことを言われると、
もう、二度と、その人と関わろうとしない。

2ちゃんねるを見てみると、すごいですよ。
ちょっとした考え方の違いで、相手を全否定です。

2ちゃんねるの傾向と言えば、そういう点もあるかも知れませんが、
たぶん、多くの人は、似たようなことをしていると思います。

例えば、自分が日頃、心酔する人のブログの中に、
ある日、自分とは違う見解が書かれていた。
それを見た瞬間、「ダメだこの人」と思って、
RSSリーダーの登録を解除する。
そんなこと、していませんか。

この場合、その人が、その人を「心酔する」理由は、
その人が、自分と同じ見解を代弁してくれていたからなんでしょうね。

自分と同じ見解を持つ人だったから、心酔していた。
でも、ある記事を読んで、自分と100%同じ見解ではないことがわかった。
だから、その人の記事は、もう読む必要は無いのだと。

「私は○○という人物を尊敬している」という言いますね。
この時、なぜ、その人物を尊敬するかという理由が重要だと思います。

しばしば人は、その人物が、自分と同じ価値観を有しているから、
その人を「尊敬」しているんですね。

自分と同じ価値観だから尊敬し、自分と価値観が違うから尊敬できない。
これって、何なんでしょうかね。

結局、自分中心なんでしょうかね。

自分の価値観が間違っていることもありますよね。
自分の価値観は絶対では無いですよね。

自分と価値観や見解が違うからこそ、その人に学ぶ意味があるんですよね。

自分は 1+1=1 だと思っている。
でも、なぜか、自分は数式が解けない。

その場合、先生につくわけでしょう。
その先生は、 1+1=2 だと主張する。
自分とは異なる。

自分とは異なるからと言って、その先生を否定しますか。

自分の 1+1=1 という見解では、数式は解けない。
だから、自分とは見解の異なる人を、先生にしたわけですよね。

人生もそうでしょう。

自分は、自分の今の価値観は正しいと思っているかも知れないけど、
それで、すべての悩みや課題を、クリアーできていますか。

できていないとしたならば、それはもしかして、
自分の価値観に問題があるのかも知れない。
だから、先生の教えを受けるわけでしょう。

先生の教えを受けるというのは、ギプスをはめるのと同じです。
自分の骨格が歪んでいるのです。
だから、ギプスをはめるのです。

先生の教えの一部を聞いて、
「私とは考えが違う」と否定するのは、
まるで、「このギプスは私と体型が違う」と、放棄するのと同じです。

武道には「守破離」という言葉があります。

「守」とは、先生の教えを忠実に守ること。
「破」とは、先生の教えを疑ってみること。
「離」とは、先生から独立し、自分流を確立すること。

ですから、いつまでも、先生を信じているのが良いわけではありません。
でも、ある一定の期間は、その先生の言うままに、修行する必要があるのです。

ところが、多くの人は、その「一定」に達する前に、
「この先生は、私の考え方は違う」と、先生を離れてしまう。

何でそもそも、その先生に師事したのか、というところが問題なのです。

その先生は、自分よりも秀でたものを持っているから、
師事したのではないでしょうか。

空手で言うならば、その先生のほうが、
自分よりも強いから、師事したんじゃないでしょうか。

少なくとも、その先生よりも強くなってから、
その先生を否定するべきではないでしょうか。

先生の話が長くなりましたが、今の人々の傾向として、
相手が自分と違う見解を持っているとわかると、
一瞬でその相手を切り捨てるという点があるのではないかという話です。

人間は、自分と違う見解を持つ人と交流することで、成長できるのです。
なぜならば、どんな人の見解も、パーフェクトでは無いからです。

先日、「鉄コン筋クリート」というアニメ映画を観ました。
非常に、手の込んだ、よくできたアニメでした。
http://www.7andy.jp/dvd/detail/-/accd/D0158413

この物語は、シロとクロという、子供二名が主人公です。

シロもクロは浮浪児同士であり、共同して生活しております。

クロの中には、凶暴性があります。
シロは優しい性格であり、シロの存在が、クロの暴走を抑制しています。

ところが、このシロとクロは、ある事件により、引き裂かれてしまう。

このシロのセリフですが、
シロはネジが欠けたまま生まれて来た、神さまの失敗作である。
また、クロもネジが欠けている、神さまの失敗作である。
でも、クロに無いネジは、シロが全部、持っていると。
(セリフはアバウトです)

これは、すべての人間の関係において、言えるのではないかと思います。

人間はみな、何かしら、ネジが欠けている。
そのネジは、他人が持っているんですね。

見解が異なるというのは、自分に無いネジを、その人が持っているということ。
ならば、その人を切り捨てるのではなく、
むしろ、その人を大切にしなければならない。
そうしてこそ、自分のネジが揃うんですね。

今回も、ちょっと長くなってしまいました。

それではこの辺で。


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