2008.08.24
目からウロコの仏教入門 ── 理想を明確にせよ(4) ──
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□□□ 目からウロコの仏教入門 □□
□□ 〜ひとりで学ぶ歴史と思想〜 □□□
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── 理想を明確にせよ(4) ──
成仏というのは、末法においては実現不可能な理想である。
それゆえ、現世での修行による成仏を諦め、
来世、極楽浄土に生まれ変わることを願え。
法然等がこのように説いた現実というのもよく理解できます。
この世の中では、戒律一つ、守り続けることは難しい。
しかしながら、難しいからこそ、修行なのでしょう。
難しいからと言って諦めてしまえば、そこから人は向上することはできない。
しばしば人は、理想が高くて困難であると思った時、
この理想を放棄してしまいがちです。
この考え方は白黒思考であり、極端です。
100点満点とれないとしても、90点、80点とれればいいじゃないか。
このような考え方が必要とされます。
大乗仏教には、「天部」というものがあります。
諸尊には「如来部」「菩薩部」「明王部」「天部」とありますが、その「天部」です。
この天部は大変に面白い役割を果たします。
如来というのは、悟りきった感じがしてとっつきがたい。
当然です。
悟りきっているのですから。
菩薩は、如来よりは衆生の側にあるのですが、
高い高い次元にいらっしゃる事には違いなく、あまりにもまぶしすぎる存在です。
明王は、ちょっとおっかない。
そこで天です。
天と言いますのは、衆生に一番近い存在です。
一番近い存在ですから、人間の煩悩というものにも理解があるだろうと、
そう思えるわけです。
人は理想を目指し、修行をする中にあっても、
たびたび、煩悩が顔を出して、やっかいな事になるのです。
それを温かく見守りつつも、煩悩に定住しないように、
導いてくださるのがこの天です。
「空仮の二諦に遊ぶ」という事を、ずっと語ってまいりました。
「空」とは「空諦」で理想の事。
「仮」とは「仮諦」で現実の事。
理想と現実の間を行ったり来たりしながら、らせん状に理想に近づいて行く。
これが「空仮の二諦に遊ぶ」ということです。
そして、空仮の二諦に遊ばしてくれるのが天という存在です。
特に、日本の天台宗では天部の信仰が盛んです。
天台宗に強い影響を受けた曹洞宗總持寺派も、天部信仰の要素があります。
法然は理想を放棄し、阿弥陀の他力による救済を説きました。
天台宗は中道を説いたわけです。
すなわち、「空」にも「仮」にも執着しないということです。
それは、空仮の二諦に遊ぶということです。
天台宗が天部信仰に傾斜して行くのはまさに、中道ゆえです。
もともと天部は密教ですから、真言宗でも当然、天部信仰はあるのですが、
パーフェクトブッダとしての大日如来の存在感が、あまりにも大きく、
それゆえに天部の陰が薄くなって、完全主義になっているという印象があります。
天台宗は、上手いこと天部と付き合っているなあと感じます。
決して天台宗の宣伝ではありませんが、
禁欲の完全主義でもなく、理想放棄でもない、中道の実践方法は、
まさに天台の天部信仰の中に見い出せると思います。
とかく人は、右にそれ、左にそれ、なかなかまっすぐに歩いて行けないものです。
そんな中でも、温かく見守ってくださる天という存在。
そういう存在があると信じるだけで、我々の心の支えになるのではないでしょうか。
「理想を明確にせよ」というテーマでお話させていただいて来ましたが、
まず、自分はどこに行きたいのかという理想を明確にする。
そして、その理想がどんなに実現不可能に思えたとしても、
それを放棄するのではなく、一歩でも、そこに近づけるように努力する。
そうすることが、自身の成長につながるのではないかということです。
完璧な理想論者になって、押しつぶされるのでもない。
理想を放棄するのでもない。
その中道を行くということです。
これは仏道修行に限ることではない。
あらゆる面において共通して必要な考え方でしょう。
社会の諸々の問題を考察する時においても、
この視点から見ますと、紐解けることが多いわけです。
人々はとかく、極端思考に陥りがちです。
諸々の失敗は極端思考より生ずることが多い。
理想が実現できないと思ったら、ちゃぶ台をひっくり返してしまう。
そういう判断をすることが多いものです。
人類の諸々の失敗は、極端思考から生じていることが多い。
ひとつ、こういう視点で、今日からニュースをご覧になってみてください。
-【編集後記】---------------------------------------------------------------
今日は、忙しくて深夜0時の発行に間に合いませんでした。
ここ一週間ほど、実に忙しい状態が続いておりました。
さて、私は以前から申し上げておりますとおり、共産主義者です。
(共産党員でも、マルクス原理主義者でもありませんが)
共産主義と言いますのは、「財産を共有する」ということです。
「これは私のもの」「これはあなたのもの」という状態から、
「これはみんなのもの」という状態に切り替える。
みんなで共有する財産を、みんなで平等に利用する。
所得もみな、平等になるということです。
仏教の考え方から言えば、これが最も理想であろうと思います。
ところが、ソ連も共産化に失敗した。
中国も失敗した。
だから共産主義は実現不可能なのだ。
そういう考え方が世の中を支配してしまった。
そこで、日本は共産主義や、それに準ずる考え方をすべて放棄し、
新自由主義という市場競争原理主義へと突っ走った。
その結果、格差社会と言われる今日があるわけです。
人々は、共産主義を否定するけれども、
労働組合というシステムを生み出し、
それまで奴隷同然だった労働者の人権を保護したのは共産主義です。
日本はその共産主義を否定することにより、労働組合というものが力を失った。
その結果、労働者の人権も損なわれて来ているのです。
共産主義は実現不可能かも知れない。
けれども、これが人間として理想的な考え方であると思うならば、
その理想に向かい、一歩ずつ進んで行く。
それが、人間社会を成長させて行くことにつながると考えております。
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