2007.03.22
野球コラムNO.78『いわゆる一つの、監督論』
月日付NO.78『いわゆる一つの、監督論』
【目次】
≪司馬遼太郎『殉死』≫
≪名将か、迷将か?≫
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≪司馬遼太郎『殉死』≫
手元に一冊の文庫本がある。司馬遼太郎の『殉死』である。
文藝春秋文庫で390円。174ページであるから値段もサイズもお手ごろではなかろうか?
『殉死』という言葉、現在ではほとんど目にしたり聞いたりすることはない。
夏目漱石の『こころ』のを思い出す人もいるだろうか。
その中で、登場人物の「先生」が「明治の精神に殉ずる」形で自死にいたる。
その「明治の精神に殉ずる」上でのキーパーソンが乃木稀典。旧日本軍の軍人である。
司馬遼太郎の『殉死』も、乃木稀典を中心に描かれている。
ただ、これが小説かどうかとなると、司馬遼太郎の文中の言葉を紹介するしかない。
「以下、筆者はこの書きものを、小説としてかくのではなく小説以前の、
いわば自分自身の思考を確かめるといったふうの、そういうつもりで書く。
(中略)
筆者自身のための覚えがきとして、受けとってもらえればありがたい。」
私の個人的なイメージでいうと乃木稀典というと『二〇三高地』である。
少年の頃に見た映画の中で描かれていたイメージしかない。
夏目漱石『こころ』の中でも少し出てくるが、私の中では映画『二〇三高地』の一登場人物である。
特に尊敬するでもありがたがるでもなく、ましてヒーローでもない、私の中では一人の「歴史上の人物」である。
が、『殉死』を読んでいくうちに、その「映画の中の主要登場人物」というイメージは変わっていった。
極端な言い方をしてしまうと…「かわいそうな人」とさえ感じられるようになっていった。
そしてそのイメージは、プロ野球の監督を任せられる一部の人に通じるようにさえ思えたのである。
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≪名将か、迷将か?≫
さて『殉死』前半の「要塞」の章では、乃木が二〇三高地、つまり旅順に赴任される顛末を描いている。
現場監督、あるいは一人の名将としてそこへ派遣されたのかというと…どうもそうではなかったらしい。
司馬の描写を極端にまとめてしまうと、「他に人がいなかったから」とも取れるいきさつがあるようだ。
それに加え、現場についても乃木はかなり「のんびり」した捕らえ方であったようである。
過去の情報で戦地に赴くことになった乃木と以下日本軍。
参謀役もどちらかというと「過去の情報重視」体質。
現場に何が必要で、勝つために何が必要なのか…そういうことは考えなかったようである。
一人の将として現場を預かる以上は、やはりそれなりの成果を挙げなければならない。
成果を挙げるには、何が必要であるかを分析しなくてはならない。
本編における司馬の記述を引用するなら
「維新前の武士あがりの将軍たちには、
ほんの一部をのぞいてかれらはすでにあたらしい軍事の担当能力がないとされている。」
である。
さらに
「軍人ほど過去の経験が意識を決定しがちな種類の人間はいないであろう。」
という記述も見逃せない。
さて、プロ野球の監督であるが、乃木稀典の悲劇と同じ運命を背負わされる人も少なくあるまい。
とりあえず「こいつしかいないから」的に監督就任。
しかし、現場から補強を依頼しても「現有戦力で」という返答。
結局は、「現場の力不足」で監督解任…。
時間とは、一人の愚者を英雄にするほどの力を持つものなのか?
そして人は、時間の積み重ねである歴史からどれほどを学ぶことができるのだろうか…?
プロ野球開幕間近である。
「乃木の悲劇」が今年のプロ野球では繰り返されないことを願うばかりである。
…心配なのはやはり…神奈川方面であろうか、それとも大阪方面であろうか…
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