2008.07.04
■第409回 中国史のおさらい、『主役』秦檜の登場(中国、裏切り者の列伝その9)
■第409回 中国史のおさらい、『主役』秦檜の登場(中国、裏切り者の列伝その9)
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新興国の金は、一気に宋を滅ぼそうとしました。
そのような決意を金にさせた責任の大半は、宋にあります。
宋が金に対して行なったきた背信行為に対して、宋は自ら償いをしなけれ
ばなりませんでした。
お待たせしました、今回から主役の秦檜が登場します。
第1回から第221回までのバックナンバー一覧は、下記をごらんください。
http://blog.mag2.com/m/log/0000183170/108501028.html
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●北宋滅亡
1126年、金の太宗は大軍を率いて黄河を越えました。
たちまち宋の首都・開封の近郊に迫りました。
それまで、宋は金の実力を侮っていました。
驚いたり徽宗は帝位を息子の欽宗に譲って、江南(長江の南部)に逃げ出
してしまいました。
やがて、金軍は首都・開封を包囲しました。
やむをえず宋は使者を派遣して講和を結ぼうとしました。
この交渉で、宋は高額な賠償金の支払を含めた履行不可能な条件を受け入
れて講和を結びました。
宋としては当面の時間稼ぎであり、金は軍備を充実させて宋を一気に滅ぼ
そうとする、やはり時間稼ぎでした。
翌年の1127年、宋が講和条件の不履行を理由に侵攻を開始し、首都・
開封を占領しました。
金軍は開封で略奪、暴行のかぎりをつくしました。
さらに宋の欽宗、皇族、高官など数千人を捕虜として金の本土に抑留しま
した。
その中には江南に逃げたはずの徽宗も呼び戻され、捕虜の一人となりまし
た。
金は宋を滅ばすつもりであったのです。
徽宗の息子の康王・趙構は、幸い開封にいなかったため、逮捕、抑留から
逃れられました。
●南宋成立
1127年、この趙構が江南で皇帝に即位しました。
ここに宋朝は復活したのですが、歴史家はそれ以前の宋とは区別して『南
宋』と呼んでいます。
それまでの宋朝、つまり北宋は長江以北の地も領有していましたが、南宋
の領土は長江以南だけであり、亡命政権といえる存在でした。
趙構は南宋の初代皇帝・高宗(こうそう)となったのです。
しかし、高宗は金に攻撃により、江南各地を逃げ回らなければなりません
でした。
その逃避行は、1130年、長期戦に飽いた金軍が撤退するまで続きまし
た。
●最初は強硬派、秦檜
金本土に抑留された中に、今回シリーズの主人公・秦檜(しんかい)がい
ました。
この時の秦檜は御史中丞(ぎょしちゅうじょう)という役職にありました。
御史中丞とは、官吏の監察、弾劾を行ないます。
江戸時代の日本では大目付(おおめつけ)に相当するかも知れません。
1115年、秦檜は官僚登用試験である科挙に合格し、おもに教育行政を
担当してきました。
金との武力衝突が起きるまでは目だ立たない存在でしたが、宋が危急存亡
になると強硬派官僚の指導者として登場しました。
次回からが今回シリーズの本題です。
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■ 歴史好きの素人が語る歴史(第409回)(2008年07月04日号)
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