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歴史好きの素人が語る歴史


2008.07.09

■第411回 岳飛、悲劇の芽(中国、裏切り者の列伝その11)


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■第411回 岳飛、悲劇の芽(中国、裏切り者の列伝その11)

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 人間はだれしも、苦労して得た幸せは、なんとしても守りたいという本能
があります。

 そのためには、あらゆる努力を惜しみません。

 それにより、他人から批判を受けようとも。


 第1回から第221回までのバックナンバー一覧は、下記をごらんください。
            http://blog.mag2.com/m/log/0000183170/108501028.html

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●高宗の思い

  南宋の初代皇帝・高宗は、秦檜(しんかい)が説く、金と宋による南北分
立論に心を動かされました。

 高宗には、金軍に追われて江南の各地を逃げ回った苦い思い出があります。

 さらに、自分は兄の欽宗の代理であるという意識がありました。

 退位した父の徽宗、後を継いだ兄の欽宗は、抑留された身ですが金の本土
に健在です。

 はやく、基盤を固めて自らの皇帝としての立場を確立したいと思ったでし
ょう。

 秦檜と金のダランの協力を高宗が知っていたかはわかりませんが、高宗と
秦檜の考えは一致しました。

 以後、わずかな期間を除いて、高宗は秦檜を信任し続けました。

 南宋に帰還した翌年の1131年、秦檜は宰相となりました。

 友人であった范宗尹(はん そういん)を宰相の座から追い落としての就
任です。

 この范宗尹は、「秦檜は金のスパイである」という多くの人々を説得して
くれた恩人であったのです。

 1132年から1135年まで、秦檜は反対派により宰相を罷免されまし
た。

 しかし、1135年、宰相に再任されます。

 1155年、死去するまで20年間も宰相として南宋に君臨しました。


  1134年、金軍が南宋を屈服させるため、南下を開始しました。


●奮闘する南宋軍

 今回は、前回とちがい南宋軍が善戦しました。

 その原動力は4人の名将でした。

 その名は、張俊(ちょうしゅん)、韓世忠(かんせいちゅう)、劉光世(
りゅうこうせい)、そして岳飛(がくひ)です。

 彼らの経歴はさまざまです。

 張俊は盗賊の頭領でした。

 韓世忠は兵士から将軍に立身出世しました。

 岳飛は農民出身ですが、教養がありました。
 

 彼らが指揮した軍は、中央の正規軍ではなく『家軍(かぐん)』という私
兵軍団です。

 彼らは南宋が危機であるとの認識から、義勇軍を組織、指揮して金軍の進
撃を食い止めました。

 南宋軍と金軍が死闘を展開している時、金の二代目皇帝・太宗が重病とな
ったため、金軍は撤退しました。

 彼らは金軍との戦いによって実力をつけ、金軍を阻止した功績によって節
度使に任じられました。

 節度使とは国境の防衛を担当する軍の指揮官です。


 金に比べて、軍事的に劣勢な南宋には、国土防衛のため彼らの存在は不可
欠です。

 しかし、手放しでは喜べない理由がありました。

 それが岳飛を悲劇に追い込む原因となりました。


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■ 歴史好きの素人が語る歴史(第411回)(2008年07月09日号)
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・ 作者は、中澤勇二(台湾名 陳澤民)です。

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