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エーそうだったの!の豆知識


2007.07.02

上野に大仏があった事しってました


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「凡々と豆知識」をご覧頂ありがとうございます
せっかくの縁ですからチョツトだけ読んでいってください。
たいして役にも立たなくて、チョット面白いものチョット不思議な事を載せて
いきますので宜しくどうぞ。
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第10回
「上野の大仏」昔、上野に大仏があった事しってました・・・
私は残念ながら今まで知りませんでした。

上野精養軒の隣の小高い丘の上に塔(パコダ)が見あります。
その隣に大仏の顔だけが存在しているのですが、上野大仏は寛永8年(1631)
村上城主堀丹後守藤原直寄が戦乱にたおれた将兵の冥福を祈り自分の屋敷地に大きさ約
6メートルの釈迦如来座像を造りました。
その後1647年の大地震、天保12年(1841)の安政の大地震、大正12年
(1923)の関東大震災と合計3回も首が落ちたといわれます。
関東大震災後は、首が無い状態で放置されていましたが、戦時下に金属供出令により
胴体の部分は鉄砲の玉になってしまいました。
お顔の部分は、寛永寺がかくし守っていたため金属供出令を免れ400年近く上野を
見守ってきた大仏様のお顔だけが今も残ったわけです。
戦時下に金属供出令については、亡くなった母が「お雛様の飾りまで持っていかれて
しまった」といっていたのが思いだされます。
そんな状態でアメリカに勝てるはずはないですよね。
金属供出令で取り壊され鉄砲の玉になってしった大仏は全国に結構、沢山あったようです。
ほんとに罰当たりな・・・・諸法従本来常時寂滅相なりです。
因みに
上野精養軒の隣には「時の鐘」もありました。現在も有ります


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